2010年5月5日水曜日

ユビキタスは何処へ?

トリッキーなタイトルに思えるかもしれません.「ユビキタス」という言葉が一般的に使われるようになって約10年.ちょうどその間,携帯電話サービスも2G,3G,3.5Gと進歩してきたため,ユビキタスコンピューティングとモバイルコンピューティングが同義語のように使われていることもしばしばありました.そこで,今一度ユビキタスの定義を振り返ってみたいと思います.

よく知られているように,ユビキタス(ubiquitous)の語源はラテン語で「遍在する,どこにでもある」という意味です.この言葉を用いてユビキタスコンピューティングという表現を初めて唱えたのは,故Mark Weiser氏(当時米Xerox PARC勤務)です.では,ユビキタスコンピューティングというのは,その名の通り「どこでもコンピュータ」を意味するのでしょうか?Weiser氏は21世紀のコンピュータビジョンとして,これについて1991年にScientific American[1]で次のように述べています.「コンピュータは人間の日常生活に自然に溶け込み,その存在は人間の意識から消え失せる.」(コンピュータの不可視性).確かに,どこでもコンピュータを利用できる環境であればコンピュータを使うという意識は薄れていくと思いますが,「どこでもコンピュータ」も含み,その先にある未来のコンピュータ環境のあり方をユビキタスコンピューティングという言葉を使って説明しています.そう考えるとユビキタスコンピューティングとモバイルコンピューティングが同義語でないことがわかりますね.

このようなコンピュータの不可視性という概念は何やらモヤモヤとして今一つ理解しにくいので,以下の2つのコンピュータ環境における情報交換と考えてみましょう[2].ひとつは,至るところにコンピュータが存在し,かつ,それらが互いにネットワークで接続されることにより,場所を問わず情報交換が行われる環境です.もうひとつは,コンピュータそのものを使っていることを意識しないで情報交換が行われる環境です.前者は物理的なコンピュータの所在,あるいは,ネットワーク形態と関連しており,ユビキタスの語源そのものを指す遍在性(Ubiquity)を意味しています.一方,後者はユビキタスコンピューティングの最終目標であるコンピュータの不可視性(Invisibility)を意味しています.

ここでネットワーク形態に関してですが,いつでもコンピュータアクセスができるようにするためには,どこにでもあるネットワークに接続されたコンピュータを使うという方法とネットワークアクセスが可能なコンピュータを人間と一緒に持ち運ぶという方法があります.これは,自宅,外,会社それぞれの場所でコーヒーを飲むのも,コーヒーポットを持ち歩いてコーヒーを飲むのも,どちらもユビキタスコーヒーであることに変わりがないのと同じです.


ユビキタスコーヒー

現在,ユビキタスに関する多くの研究が行われていますが,それらは多かれ少なかれ,上記2つの情報交換に焦点が当てられているように思えます.例えば,モバイルコンピューティング,ウェアラブルコンピューティング,アドホックネットワーク,クラウドコンピューティング,ワイヤレス通信などはコンピュータの遍在性に関連しており,コンテクストアウェアネス,ユーザモデリング,拡張現実感,ユーザインタフェース,アンビエントシステムなどはコンピュータの不可視性と関連していると言えます.

このようなユビキタスコンピューティングは21世紀の幕が開けた頃からIT分野の主要研究テーマとなりましたが,現在はどうなっているでしょうか?ユビキタスという言葉は無くなってはいないにしてもほとんど耳にしなくなったような気がします.しかし,コンピュータの不可視性という究極の目標は全く達成されていないのも事実です.このまま「ユビキタス」という言葉は無くなってしまうのでしょうか?ユビキタスは何処へいくのか?これはWeiser氏が私たちに残した今世紀の課題なのかもしれません.なにしろ彼は1999年4月27日に亡くなっており,21世紀のコンピュータ環境を見ることができなかったのですから.もしかすると,ユビキタスという概念自体が日常生活に溶け込み,人間が意識しなくなっているために最近耳にすることがなくなったのかもしれません.もしそうであれば,Mark Weiser氏はとんでもない天才IT哲学者だっということになります.

参考資料:
[1] Mark Weiser, “The Computer of the 21st Century,” Scientific American, Vol.265, No.3, September, 1991, pp.66-75.
[2] 山田茂樹, 上岡英史, "ユービキタスコンピューティング;ネットワークとアプリケーション," 電子情報通信学会論文誌B, Vol.J86-B, No.6, 2003, pp.863-875.

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