「マルチメディアは死語」という記述をよく見かけるようになりましたが,はたしてそれは真実なのでしょうか?実際にマルチメディアという言葉は現在でもあちこちで使われています.この疑問に迫るため,マルチメディアについて少し考えてみたいと思います.
何事も議論するには定義づけが重要です.まず,メディアとは何か考えてみましょう.メディアは英語ではmediaと綴りますが,英和辞典の説明ではmediumの複数形と書かれています.では,mediumとは何かと再度英和辞典で調べてみると,「手段,媒体」と書かれています.したがって,ここでは,メディアとは情報を表現,伝達,あるいは,記録する媒体と定義することとします.そう考えると,マルチメディアとは情報を表現,伝達,あるいは,記録する複合メディアと定義できます.すなわち,マルチメディアという言葉は複合化された情報形態を指しており,その語を使うとか使わないという流行語のような位置づけとして捉えることは不適切ではないかと感じます.
一方,死語とは何かというと,言語学の世界では自然言語のうち日常生活でその語を口にする人が存在しなくなり,実際には使用されていない言語を指すようである.しかし,冒頭でも述べましたように,日常生活においてもマルチメディアという言葉は現在でも使われていますので,死語というには無理があるようにも思えます.
では,何故,「マルチメディアは死語」と言われるようになってきたのでしょうか?それはマルチメディアという言葉をコンピュータで扱う情報という狭義の意味として捉えているからだと考えられます.少し前まではコンピュータで扱う情報は主にテキストデータであり,それにグラフィックスという描画機能が追加された程度でしたが,近年のコンピュータはこれらの情報はもちろんのこと,音声,音楽,静止画,動画などの情報表現,伝達,そして,記録ができるようになりました.さらに,情報の検索,蓄積,加工の他,複数の表現機能と表現の変換機能までも実現可能となり,マルチメディアコンピュータという言葉さえも使われていました.この点がポイントになります.すなわち,現在はパーソナルコンピュータですらマルチメディアコンピュータとしての機能を備えており,もはやコンピュータはそういうものなのである,という認識が一般化されました.その結果,コンピュータが扱う情報はマルチメディアであり,あえてそれをマルチメディアと呼ぶ必要がなくなったということができます.
結論として,コンピュータが処理する情報という観点ではマルチメディアという言葉を使う必要はありませんが,学問上の情報形態という観点では必要な言葉です.なぜなら,音声と映像をそれぞれ単体のメディアと考えた場合,その両方が存在するYouTubeやUstreamのコンテンツは明らかに複合メディアであり,マルチメディアと呼ばざるを得ないからです.すなわち,単体メディアに対する言葉としてのマルチメディアは必要であり,存在し続けなければなりません.言い換えると,学問上では必要な言葉ですが,日常生活においては使われなくなる可能性があり,死語の定義からすると確かに「マルチメディアは死語」であるのかもしれません.すでに死語であるのか,また,死語化しつつあるのか判断するのは難しいですが.もし,死語ということになった場合は,マルチメディアという言葉の寿命はとても短かったことになります.20年前には英和辞典にすらマルチメディア(multimedia)という言葉が記載されていなかったのですから.
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