2010年5月15日土曜日

ウェーバーの法則の不・思・議

人間が感じる「差異」は不思議な法則に支配されています.何か荷物を手で持った時,「重い」とか「軽い」と感じますよね.しかし,どれくらいの重さが加わると,その追加された重さを認識するのでしょうか?100gとか200gでしょうか?これを実験によって明らかにしたのがドイツの生理学者ウェーバーで,人間が認知する重さの最小単位についてある法則を見出したのです.

100gのおもりを手に持っていることを想像してください.今,おもりを1gずつ増やしていったとき,何gのおもりを追加したときにおもりが重くなったと感じるかという実験を行います.個人差はあると思いますが,平均値として102gになった時に重くなったとします.では,200gのおもりを手に持っているときは,202gになった時に重くなったと感じるのでしょうか?実はそうではなく,平均値として204gになった時に重くなったと感じます.すなわち,基準となるおもりの重さが変わると,人間が認識できる重さの差異(最小単位)も変わります.もう少し詳しく言うと,認識できる重さの差異は基準となる重さに比例するということができます.

この事実は,重さという触覚だけでなく,視覚,聴覚,味覚,そして,嗅覚などにも成り立ちます.では,この法則は五感にだけ成り立つものなのでしょうか?もっと精神的なものにもあてはまるような気がします.例えば,100円の商品が105円に値上がりした時の悔しい感覚は,500円の商品が505円に値上がった時より大きく感じ,525円に値上がりした時とほぼ同じくらいに感じるでしょう.また,お金持ちが300円の宝くじが当たっても嬉しくないですが,貧乏な人は大喜びするでしょう.この場合,基準となるのは自分が持っている貯金ということになります.おそらく,商品の価格は人間のこのような心理を利用して,設定・変更しているのではないかと思います.

では,おもりを減らしていく場合や,商品の値下げが行われる場合も同じ法則が成り立つのでしょうか?増加と減少では認識できる差異の値は異なるかもしれません.人間にとって好ましいことと好ましくないことでは,認識する変化量が違うと思います.例えば,動画像の品質が10%劣化するとそれにはすぐ気づきますが,反対に10%良くなっても気づかないということはあり得ると思います.しかし,比例関係については成り立ちそうな気がします.実際に実験を行ったわけではありませんので自信はないですが.

2010年5月14日金曜日

褒める教育

褒めることで子供の学力を伸ばすというのは昔から言われている言葉です.一般的に人間は褒められると嬉しいのでやる気が出て,その結果良い成果をもたらします.さらにそれによって,また褒められるという好循環を生み出すことから学力が伸びるのでしょう.直感的にはこの論理はわかりますが,実際にはそうなのでしょうか?

ある学校のクラスを学力的に均等になるように2つに分けて試験を行います.一方のグループには採点した答案を返却し,もう一方のグループにはひとりひとりの生徒に試験はよくできたとだけ言い,答案を返却しません.その後しばらくして,別の試験を行い,各々のグループに対して同様のことを行います.何回かこれを繰り返した後,試験の出来栄えを比較すると,褒めたグループの平均点の方が答案を返却したグループの平均点より高くなります.これをピグマリオン効果といいます.

この実験からも,褒めることによって学力が伸びるということは実証されています.ここで気になるのは,どんな場合も褒めれば学力は必ず伸びるのかどうかということです.多くの学校の試験のように初めから答えがある試験に関しては,勉強さえすれば学力は伸びるかもしれません.しかし,これは知識の習得の繰り返しに他なりません.問題の解き方が決まっていないものや,答え自体がない問題に関しては,いくら褒めても正解に行きつかないので成績はアップしません.そのような試験を受けた人自身も正解が得られなかった事実はよくわかっているので,試験はよくできたと言われてもその言葉を信用しないでしょう.

解答の導き方がわからないものや,正解自体がわからないような問題を解決するには別の方法が必要になります.研究もそうですが,問題を解くだけでなく,問題の意味を考える必要があります.すなわち,問われているものは何か,なぜそれを問うのか,他の類似した問題はなかったか,など思考が必要となります.このような場合,集団でブレインストーミングを行うと思いもよらない解決策が導かれることがあります.ブレインストーミングでは各々が好きなように意見を出し合い,出された意見に対しては決して否定しないというルールがあります.この点も大切なことで,否定されないということは自分の意見が間違っているという決断はされないことになります.否定されないが故に,ブレインストーミングにおいて自分の存在感を自覚することができ,これがまた次の意見を出すためにプラスにはたらきます.

以上のことから,褒めるにしても否定しないということにしても,結果的にその人の価値を他人が認めることとなりますので,それを実感することによって良い思考がなされるということがわかります.

2010年5月13日木曜日

ホームページ文化の崩壊

誰でも知っている「ホームページ」.ホームページは企業や研究機関,さらには,個人などが情報発信を目的としてインターネット上に公開しているwebコンテンツです.インターネットの普及とともにこれまで数え切れないほどのホームページが作成されてきました.私も職場のホームページを作成しています.内容を更新するたびに,構成やデザインをもっと簡単に変更する方法がないかと悩んでいます.

現在,多くのホームページ作成ツール(ソフト)が存在し,それぞれ,あっという間に公開できるとか,他のツールで作成したものを取り込めるとか,プロ並みのページが即座に作成できるようなことを謳っています.確かにテンプレート通りに作成すればかっこいいホームページになるのですが,メニューを増やしたり,デザインを変更したりすると,文字の体裁や写真の表示位置など多くの問題が発生します.それらを一つ一つ直そうとしても,ソフトの機能が複雑すぎてよくわからず,また,設定を変更したにもかかわらずそれが反映されていなかったりして,結局初めから作り直すことを何度も経験してきました.いまだに自分に合ったホームページ作成ツールに出会っていません.

別のwebコンテンツとして,「ブログ」があります.まさに,今見ているこのコンテンツがそれで,私もつい最近始めました.ブログはホームページと大変似ていますが,更新頻度が高く,また,閲覧者からのコメントなどを書き込める仕組みが充実しており,ユーザ参加型のいわゆるweb2.0というコンテンツの種類に含まれます.ブログを作成するためのツールは,先に述べたホームページを作成するツールと比べるとはるかに使いやすいです.多くの場合,ブログサイトを提供しているサービスプロバイダがそのツールを提供しており,自分の思うように文章や写真の配置をきめたり,変更したりできます.

ブログの中でホームページと同じ情報を記載することも簡単ですし,更新頻度が高いことを考えると,静止画と動画の違いくらい大きな差があるように感じます.そう考えると明らかにブログの方がコンテンツの価値が高いと言えます.近いうちにホームページはすべてブログに置き換わってしまうのではないでしょうか?そして,ホームページの内容をあまり更新していない企業などはやる気がないと判断され,淘汰の道を歩んでしまうのではないかとさえ思えてしまいます.組織の状況は時々刻々変化しているはずですので,それらの情報が更新されていないということはその組織の状況は悪い方に向いているからであると思われても仕方ありません.それゆえ,これまでのようにあまり更新されないホームページというコンテンツは消え失せるのではないかと予想されます.使いやすいホームページ作成ツールがほとんど存在しないのも,ソフトウェア開発者はすでにブログの方を重要視しているからなのではないでしょうか.

ブログ,Twitterなどからわかるように,コンテンツの動き,そして,リアルタイム性が要求される時代ですので,静的なホームページ文化は既に崩壊してしまったのかもしれません.ホームページのコンテンツ管理者は,ブログの作成者になっていることでしょう.

2010年5月12日水曜日

クラウドコンピューティングの連携

昨日のブログのタイトルは,「せつないクラウドコンピューティング」でした.読み直してみるとクラウドコンピューティングに対してネガティブな表現で終わっていましたので,もう少し明るい話をしたいと思います.それはクラウドコンピューティングの連携です.

クラウドコンピューティングのサービス形態は大きく分けて,IaaS,PaaS,SaaSの3つに分類されることを(昨日のブログ)述べました.現在,それぞれのサービスを,アマゾン,マイクロソフト,グーグルなどが得意分野を中心として提供しています.しかし,よく考えるとクラウドサービス間のサービス利用も可能なはずです.例えば,アマゾンが提供するIaaSのハードウェア資源にマイクロソフトが提供するPaaSによってオペレーティングシステムを導入し,さらに,その環境でグーグルが提供するSaaSによってWebアプリケーションを利用するということも考えられます.もし,このような形態を実現した場合はクラウドの3層構造ということになります.さらに,その各層はいくつかのクラウドを連携して構成するということもあり得ます.つまり,小さなIaaSをいくつか集めて比較的大きなIaaSを提供しても良いわけです.このような形態が既に実施されているかもしれません.クラウドなので実際にはわかりませんが.

クラウド連携を行った場合,あるクラウドが持っていない資源を他から借りてきて提供することも可能になります.クラウド間の資源の貸し借りはお互いさまなので無料にできれば良いですが,クラウドによって規模や経営戦略が異なるのでら,値段交渉をすることになるのでしょう.

クラウドがいくつも連携することでネットワーク遅延によるパフォーマンスの劣化が懸念されますが,そのような問題はいずれ技術が解決するでしょう.それよりも,どのクラウド・サービスプロバイダと契約してもユーザはあらゆるサービスを受けられるので,プロバイダを比較選別するという煩わしさがなくなります.ユーザがプロバイダを選択する場合,わかりにくい料金プランや規約に騙されそうになったりしますが,そのようなサービスの違いでユーザを相手に商売をするのではなく,クラウド間の資源の貸し借りという業者間の商売に徹してもらうと,個人的には助かります.

近い将来,テレビも単なるディスプレイ端末となり,クラウドサービスに加入することでシャープのAQUOSになったり,ソニーのBRAVIAになったりするかもしれません.そうなると,メーカーはハードウェアを製造しますがユーザから見るとソフトウェアサービス会社に見えることでしょう.

2010年5月11日火曜日

せつないクラウドコンピューティング

クラウドコンピューティングとは,コンピュータの機能をネットワーク内の資源によって実現する仮想コンピュータ環境です.ユーザは最低限の機能を持った端末とネットワーク接続環境さえあれば,あたかも全ての機能をその端末が提供しているように感じながら利用できます.どこまでの機能をネットワーク内の資源に任せるかによって,IaaS(Infrastructure as a Service),PaaS(Platform as a Service),SaaS(Software as a Service)などとサービス形態が区別されます.IaaSはハードウェアの機能自体をネットワーク内資源に提供してもらいますので,ユーザはその環境に好みのオペレーティングシステム(WindowsやLinuxなど)を導入して利用します.したがって,ユーザはネットワーク接続環境とキーボード,マウス,モニタなど入出力装置がある端末さえ用意すればよいことになります.PaaSはプラットフォーム,すなわち,多くの場合オペレーティングシステムなどの実行環境をネットワーク内資源に提供してもらい,ユーザは好みのアプリケーションを導入して利用します.SaaSはアプリケーションパッケージ(Office Web AppsやGoogle Appsなどが有名)などをネットワーク内資源に提供してもらい,ユーザのコンピュータ端末にインストールすることなしにそれらのアプリケーションサービスを利用することができます.

クラウドコンピューティングは,このようなコンピュータの機能をネットワーク内に分散させて利用しますので,ネットワークに接続さえできれば原理的に何処でも利用できますし,機能の拡張および縮小も容易です.しかし,実際にそれらの機能を提供している資源がネットワーク内の何処にあるのかはわかりません.コンピュータ資源が雲(クラウド)で覆われているようなサービス実行環境なのでクラウドコンピューティングと呼ばれているわけです.

クラウドの概念は様々なケースに応用できます.例えば,最適な電力量を多様な電力供給源から提供できるようにするスマートグリッドは典型的なアプリケーションです.また,テレビも近い将来単なるモニタになってしまい,ハードウェアの機能はネットワーク内資源に任せて月々使用料を払うというようなサービスに取って代わるかもしれません.

このように考えると,よいことばかりに思えますが,私のように技術系のユーザは,使う/使わないにかかわらず何でも自分の手の届く場所にないと不安に感じるので,クラウドコンピューティングの利用者には向いていないかもしれません.もし,ネットワークトラブルが起こったら仕事ができないとか,現在利用しているサービスが廃止になったらどうしようかと考えてしまいます.一番気にすることは,コンピュータ(機能)の実態は見当もつかない場所に存在しているということです.目の前にあるのに触ることができないなんて,なんてせつない世界なのだろう,と感じてしまうのです.

何処にでもありますが,何処にあるかわからない,このようなコンピュータ環境に違和感なく溶け込めるようになるまでには,まだまだ時間がかかりそうです.

2010年5月10日月曜日

社会インフラとしてのTwitter

「東京駅なう!」,などとネット上にメッセージを投じるTwitter(ツイッター).これは,インターネット上で140文字以内の「つぶやき」を不特定多数のユーザにリアルタイムで配信し,また,自分で選択(フォロー)した人のつぶやきを受信するサービスです.つぶやきと同時に写真などもアップロードすることができるため,受信者はWebコンテンツと変わらない情報を取得することができます.Twitterは,現在,全世界で1億以上のユーザが利用しており,その数は毎日増える一方です.

Twitterの特徴はリアルタイム性です.ユーザのつぶやきは即座にネット上に配信されるため,生の情報を得ることができます.2009年1月にニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着したという事故がありましたが,この事故の第一報はiPhoneからTwitterに書き込まれた写真付きのつぶやきでした.テレビによる報道よりも早かったのです.この事実は,Twitterというコミュニケーション・ツールがテレビやラジオといった速報性のあるメディアに取って代わる瞬間を意味していたのかもしれません.

リアルタイム性の他にTwitterの特徴として強調すべきことは,メッセージが直接相手に届けることができる点です.例えば,一国民が総理大臣や閣僚,さらには,大会社の社長に直接メッセージを届けることも可能です.しかるべき権力のある人に直接メッセージを届けることができる場合は,問題を即座に対処してもらえる可能性が高いのです.昨日のTwitterでつぶやきを見ていると,iPadを予約しようとしていた人がソフトバンクモバイルからクレジットカードがないと契約できないと言われ,Twitterで孫社長に向けて何とかしてほしいとつぶやいたところ,孫社長はシステム変更に数日必要ではあるが現金一括でも買えるようにすると返信しました.瞬時に社長決裁が下りて問題の解決が可能となったのです.もし,本件,カスタマーサービスへ話をした場合どうなったでしょうか?おそらく,孫社長にそのメッセージが伝わるまで何日もかかったに違いありません.それどころか,社長までメッセージが届かないといった状況になる可能性も否定できません.

上記,孫社長のメッセージは世界中のTwitterユーザにも届いたのです.すなわち,孫社長は現金一括でもiPadの購入を可能にすると宣言したことに他なりません.そう考えると,Twitterは単なるコミュニケーション・ツールという域を超え,テレビ,ラジオ,そして,新聞と同様,既に報道としての社会インフラになっているということができます.このようなインフラの登場は一般の人々にとっては強い味方になってくれます.当局による理不尽な介入や盗聴,さらには,つぶやきに関する社会的責任の押しつけなど,面倒な問題になってほしくないですね.そっとしておいてもらえればと.

参考資料:
津田大介, "Twitter社会論-新たなリアルタイム・ウェヴの潮流", 洋泉社.

2010年5月9日日曜日

宇宙からのメッセージ観測

皆さんはものすごい数の宇宙線が地球に降り注いでいるのをご存知でしょうか?宇宙線とは,宇宙空間を飛行している放射線と考えるとわかりやすいかと思います.例えば,ガンマ線,電子線,原子核など様々な種類があります.「そんなに多くの放射線を浴びて人間は大丈夫なの?」という声が聞こえてきそうです.しかし,地球には分厚い大気が存在し,宇宙線の多くはそこで吸収されてしまうので大丈夫です.今,このような宇宙線のうち特に電子線とガンマ線に着目し,国際宇宙ステーションで観測する計画,CALET(CALorimetric Electron Telescope)の準備が進められています.私もこのプロジェクトに参加させて頂いており,2013年の打ち上げを目指して本年度から本格的にデータ処理システム等の研究を行っています.

このような宇宙線の観測は何のために行っているのでしょうか?一般的に宇宙線の観測では,どの種類の宇宙線が,どのくらいのエネルギーを持って,どのくらいの頻度で,どの方角から飛んでくるのか,という情報を取得します.それらを解析することによって,宇宙線の起源はどこか,どのように加速されて地球に到来したかなど,宇宙現象の解明を目的としています.

見方を変えると,想像を絶するような遠くの場所から,「何らか」のきっかけで光に近い猛スピードで飛んでくるわけですから,「何らか」の意味をもたらす宇宙(自然)からのメッセージと捉える事が出来ます.先に述べた情報を観測することによってそのメッセージを理解しようとするわけです.これは広い意味での超長距離片方向無線通信と言えます.通信というと,一般的には電気信号を発信者から受信者へ送ることを想像するでしょう.しかし,この宇宙線通信は送信者が不明,どこを通ってきたかも不明,しかしながら,確かにメッセージは到着したという事実をもとに,そのメッセージを統計的に解読する研究ということができます.通信の歴史を振り返ると,人間と人間との通信,人間と機械との通信,機械と機械との通信が登場しましたが,自然と人間との通信があってもいいじゃありませんか!

CALETのホームページ:
http://www.calet.rise.waseda.ac.jp/