2010年7月8日木曜日

時差は何のため?

海外の人達と仕事をしているときに気にしなければならないのが時差です.地球の反対側では昼と夜が逆ですからね.しかし,ここでお話したいのは,自分が起きているときには相手は真夜中だから寝ている,というような話ではなく,時刻そのものの問題です.

海外に行った場合,その国の時刻に自分の時計を合わせておかないと大変なことになります.国によって同じ瞬間の時間が異なるのですから.この点がポイントです.何故わざわざ国によって時間を変えなければならないのでしょうか?1つの絶対的な世界時間を用いて,全世界で同じ時計を使えば何の混乱もなくて済みます.全世界が同時に朝だったり夜だったりするわけにはいきませんが,時間は統一された方が便利です.例えば,日本の朝9時はアメリカのロサンゼルスでは前日の17時です.これが混乱の元です.日も時間も全世界で同じにすべきです.

国,会社,さらには,人によって仕事を開始する時間は異なるのが普通なので,仕事を開始する時間を朝9時にするというような建前だけの時間など必要ありません.日本ではたとえ朝だったとしても世界時間では19時で,仕事が始まる時間だとしても何の問題もありません.実際に百夜などがある国では日が完全に沈まなくとも問題なく生活できています.これまでと違うからといっても,何日間かその制度を運用すれば慣れますし,その方が便利だと感じるはずです.実際に同じ瞬間にそれぞれの人が存在しているのに,その日時が場所によって異なるなんて変です.

このように,世界時間を導入すれば海外に行った時の混乱が減ります.旅程表などを見ると,飛行機の出発は日本時間,到着は到着国の時間が記載されています.しかし,もし両国間の時差を知らなければ何時間飛行機に乗っているのかわかりません.世界時間で記述されれば搭乗してから何時間経って行き先に着くのかすぐわかります.これからの社会では海外への行き来が頻繁になっていきます.一刻も早く世界時間を導入して,混乱のない生活を送りたいものです.

朝,仕事を始める時間が19時であっても,全く違和感がない私は異常でしょうか?

2010年7月7日水曜日

ドコモSIMロック解除!

とうとうNTTドコモが宣言しました.SIMロック解除!2010年7月1日のブログに書きましたが,総務省がSIMロック解除に関するガイドラインを発表してから5日目です.2011年4月以降に販売する全ての携帯電話でSIMロック解除を実施するとのことです.

ドコモの勇気には拍手(パチパチ),といきたいところですが,よく考えてみると当然かもしれません.今,iPhoneが大ブームとなっているため,ドコモはソフトバンクモバイルにユーザをとられているというのは否定し難い事実です.しかし,SIMロックが解除されるとソフトバンクユーザもドコモの携帯電話を使えるようになり,人気のあるスマートフォンXperiaなどを買ってくれるかも知れないからです.携帯電話端末のみであればそれなりにいい値段で売れるかもしれません.

一方,同じ3G通信規格であるソフトバンクはどうでしょうか?かなり慎重なようです.というのも,iPhoneやiPadはソフトバンクの武器であり,SIMロックを解除すると,例えばドコモの契約でiPhoneやiPadを使えることとなり,ソフトバンクになだれ込むユーザ数を抑制することになってしまうからです.

SIMロックが解除されたからといって,他社の携帯電話を用いて全てのサービスが問題なく受けられるとは限りません.通話に関しては問題ないと思いますが,端末独自のブラウザや電子メール機能等インターネットアクセスに関わるサービスは機能が制限される可能性があります.しかし,スマートフォンの場合はこれらの制限がほとんどなくなります.スマートフォンは基本的にパソコンと同じような使い方ができる仕様となっていますので,ドコモのユーザがiPhoneを使った場合はほとんどの機能がそのまま使える可能性が高いです.だからこそ,ソフトバンクの見解は慎重なのですね.KDDIの携帯電話は3Gでの通信規格が異なりますので,SIMロックによって受ける恩恵はありませんが,3.9Gの統一規格でサービスが始まる時期になったらSIMロック解除を行う可能性があります.

個人的には端末とサービスは切り離すべきだと思っています.どんなパソコンを買ってもインターネット・サービスプロバイダは自由に選べますからね.全社が端末ではなく,サービスそのもののありかたで勝負するようになって欲しいものです.

2010年7月6日火曜日

プログレスが再ドッキング成功!

2010年7月3日のブログに,ロシアのプログレスが国際宇宙ステーション(ISS: International Space Station)とのドッキングに失敗したと書きましたが,7月5日に再ドッキングに成功しました.最初のドッキングで失敗した原因は,自動ランデブーシステムと手動ドッキングシステムの干渉問題とのことです.再ドッキングでは,手動ドッキングシステムを停止した状態で自動ランデブーシステムによる自動ドッキングを行い成功したそうです.具体的なシステムについてはよくわかりませんが,ランデブーというのは接近を意味するので自動ランデブーシステムとは自動でプログレスをISSに接近させるシステムなのでしょう.

今回の再ドッキングの際,はじめはプログレスもISSと3kmほど離れて同じ軌道上にいました.同じ軌道上ということは,約90分で地球の周りを1周するという超高速で動いていたわけです.そんなスピードで動いているISSに再び近寄り,ドッキングをするというのは神業のように思えます.しかし,ISSからみるとプログレスはゆっくり近づいてきたように見えるはずです.その感覚が私達には体験できない不思議なものですね.宇宙空間は風も吹いていないので,超高速で動いていてもお互いゆっくりゆっくり接近してドッキングするように感じるのでしょう.

映画の世界のようですが,ふつうの人々もこのような体験ができるようになるのはそう遠くない未来だと思います.早く飛行機に乗るような価格で宇宙旅行ができるようになって欲しいものです.

2010年7月5日月曜日

ノンアルコールビールはドル箱

2010年7月4日の朝日新聞朝刊に,ノンアルコールビールが高収益をもたらしているという記事がありました.アルコール度が1%未満であれば酒税がかからないのに,これらは第3のビールとほぼ同じ価格で店頭販売されています.いくら開発費がかかったとはいえ,原料費や製造法は従来のビールまたは第3のビールとそれほど変わらないはずです.さらに,これだけ売れているのであればその投資額は十分回収できているのではと思います.350mlの料金で考えると,28円分の酒税がないためそれくらいの価格低下があってもよいはずです.やはり,消費者はいいカモになっているのですね.

では,どうして割高であるとわかっているノンアルコールビールが売れているのでしょうか?消費者心理に帰するところが多いと思いますが,まずは飲んでも車の運転ができるということでしょう.しかし,そうまでしてビールの雰囲気を味わいたい消費者が多いのかどうかは疑問です.実際に飲んでみるとかなり味が違うので,物足りなく感じて普通のビールが飲みたくなり,ますますストレスが溜まります.これでは何のために飲むのかわかりません.また,アルコール度がほとんど0に近いということで健康にいいのではと勘違いしている人もいるかもしれません.確かにアルコール自体が体に及ぼす影響は低減するかもしれませんが,ノンアルコールビールといえども原材料はビールとほぼ同じであり,成分からみた健康への影響はそれほど変わるとは思えません.さらに,酒は飲めないが付き合いで飲むというケースがあるかとも考えたのですが,そのような人はたとえアルコールが入っていなくともノンアルコールビールを飲むことはほとんどなく,ソフトドリンクを飲むはずです.

このように考えると,何故ノンアルコールビールが売れているのかわかりません.やはり消費者は勘違いしてだまされているだけなのでしょうか?だとすれば完全にビール会社のドル箱戦略にはまっていますね.酒税による価格上昇を抑え,安さで売るために開発した技術はとても素晴らしいものです.しかし,蓋を開けてみると価格は下がらず,しかも,消費者はそれでも買い続けるという皮肉な現実です.似たような商品であれば同じ値段で売ってしまおうという罠にはまるのだけは避けたいものです.自動販売機で缶ジュースやペットボトルの飲み物を買う時も同様です.原価が異なるはずの飲み物が,同じ量で同じ値段で売られていることがあります.商品によって値段を変えている販売機もありますが,多くの場合同じ値段がつけられているように思います.その値段が自分にとって価値のあるものというわけでもないのに,ついつい買ってしまうという消費者心理をうまく利用した商売です.一律価格で販売する100円ショップの場合は,100円の価値がない物もありますが,100円以上の価値があるものもありますので消費者の満足感は高いです.しかし,単品で明らかに高いものを買わされているにもかかわらず,満足感がはっきりと現れない場合は,企業の戦略にはどっぷりはまっていることになってしまいます.気をつけたいものですね.

2010年7月4日日曜日

電子書籍配信事業

電子書籍が注目を浴びていますが,2010年7月1日に電子書籍配信事業準備会社というのが設立されました.この会社は電子書籍配信事業がどうあるべきかを検討する企画会社ということで,ソニー,凸版印刷,KDDI,朝日新聞社の共同企画会社です.しかし,電子書籍がどうあるべきかという検討をするため,というよりは書籍というメディアでどうやって生き残るかという点から協力したように思われます.ソニーは電子書籍リーダーを販売していますが,iPadやKindleに比べるとその勢いは比較にならないほど弱く,凸版印刷もインターネットにコンテンツを奪われ,紙媒体のビジネスは厳しくなっています.また,KDDIはソフトバンクやNTTドコモに比べるとスマートフォンの導入や携帯書籍など魅力あるサービスという点で劣っていますし,朝日新聞社は広告収入と購読者の激減によって厳しい経営状態です.そう考えると,活字ビジネスにおいてこれら4社すべてが苦しい状態から抜け出そうと,苦肉の策で作りだした会社に思えて仕方ありません.

もっと広い意味での電子書籍ビジネスの検討,例えば,日本においてどのように各社システムを連携してコストを下げることが可能か,また,どのように他社のコンテンツもユーザにシームレスに販売できるかなど,最終的にユーザが恩恵を受けるような電子書籍配信事業となることを議論してくれるなら大変結構なことです.間違っても,業績不振分野の企業が傷を舐め合って結託し,独占価格などが設定されるようであってはなりません.

しかしながら,今回設立された会社が各業界から1社ずつ参加しているとう状況から察すると,上に述べたような電子書籍配信事業のためのコンソーシアム的存在ではなさそうです.そうなると,同じような会社が他企業によって連立し,結果的にいくつかの販売方法が共存するようなとんでもない事態にならないとも限りません.コンテンツを販売経路によって独占されて困るのはユーザです.そのようなビジネスをする時代ではもうありません.この会社,そして,同業者で同じような状況にある企業には,その点を踏まえて電子書籍配信事業を活性化させて頂きたいと思います.さらにもう1点,日本の会社だけでなく,海外の会社も交えて世界中の書籍を低価格かつ簡単に購入できるようにもして欲しいものです.

2010年7月3日土曜日

プログレスがドッキング失敗!

2010年7月2日,ロシアのプログレスが国際宇宙ステーション(ISS: International Space Station)とのドッキングに失敗したとの報道がなされました.プログレスとは,無人貨物船で宇宙飛行士の食糧や衣類,さらには,実験装置などの輸送手段として開発されたものです.スペースシャトルが無くなってしまった現在,このような無人貨物船とISSとのドッキング技術はとても重要なのです.ニュースによると,プログレスはISSから3kmほど離れて通過し,現在はISSと同じ軌道上におり,再びドッキングを試みるそうです.

ドッキングをする予定だったにもかかわらず,3kmも離れていたというのはランデブー(接近)すらもできていない状態です.ISSの船長によると,プログレスは制御できない状態で回転し,視界から消えたそうです.自動ドッキングシステムが機能せず,手動でも制御不可能だったとのことです.

日本にも無人貨物船としてHTVというものがあり,昨年ISSとのドッキングに成功しています.日本よりもはるかに宇宙開発が進んでいたロシアですら失敗してしまったというのはかなりショックです.もしかすると,日本の技術がロシアの技術を追い越してしまったのでしょうか?

ところで,皆さんはこのように無人貨物船が空中でISSとドッキングしていたという事実はご存知でしょうか?スペースシャトルは人間が実際に搭乗するのでうまくコントロールしてくれそうですが,400kmもの上空でしかも無人で宇宙船同士がドッキングするなんて凄い技術です.数十年昔のウルトラセブンの世界がよみがえります.私達が知っている以上に宇宙開発はどんどん進んでいます.これからの10年間はどんな夢が実現されていくのか楽しみです.

2010年7月2日金曜日

Mac OS X 消滅か?

iPhone,iPad,iPodで有名なアップル社ですが,このようなモバイル端末だけでなくiMacというパソコンも有名で,マニアには根強い人気があります.そのiMacに搭載されているOS(Operating System)であるMac OS X(マック オーエス テン)が消滅するという噂があります.Mac OS XはBSD UNIXベースで作られたOSで,2001年にUNIXとしての認証を受けています.非常に独特のOSに感じるのは,UNIXというよりGUI(Graphical User Interface)で,WindowsやLinuxと比べるとやはり使い勝手がかなり異なります.そんなMac OS Xのリブランディング,すなわち,名前の付け替えが行われるらしいです.iPhoneのOSをiOSと命名したこともあり,商品によってiOS desktop,iOS server,iOS mobileなどとブランド名が変更になる可能性が大きいそうです.

確かに,「i」で始まるOSという意味では,面白いブランド戦略だと思います.アップル社の各商品名も「i」で始まりますから.しかし,「i」で始まるネーミングはアップル社だけではありません.有名なGoogleもiGoogleというサービスがありますし,その他,検索してみると,そういえばこんなのもあるなあ,というのがいっぱい出てきます.今となっては,「i」で始まるものがアップル社と関係すると言うには少し無理があるように思えます.

とはいえ,ブランド戦略というのは非常に重要です.最近ではあまり言わなくなりましたが,昔は「コピーをとる」と言う代わりに「ゼロックスを取とる」と言ったり,「ティッシュ」のことを「クリネックス」と言ったり,今思うととても滑稽です.しかし,会社名や商品名が動詞として使われるようになると,そのブランド力はとても強いものになります.もうひとつの面白い例ですが,皆さんもよくご存じのドラッグストアー,マツキヨです.正式名称は「マツモトキヨシ」と言いますが,この名前は完全なブランド名になっています.しかし,よく考えてみるとこれは創業者の松本清さんの名前そのものです.松本清さんは千葉県松戸市長にもなった方で,「すぐやる課」を作ったことで有名です.彼は千葉県議時代に選挙で名前を売るため,店名に自分の名前を付けてマツモトキヨシにしたというので,ここでもブランド名の威力が発揮されているのがわかります.

ブランド名というのはいろいろな使われ方があるようです.認知力を広めるにはネーミングがとても大切です.しかし,いったん悪名がついてしまったらそれを消すのは至難の業ですね.その時は,また,名前を変えればいいのかな?

2010年7月1日木曜日

SIMロック解除

2010年6月30日,総務省は「SIMロックの解除に関するガイドライン」を発表しました.

携帯電話の契約者であることを示す情報が埋め込まれたSIMカードというものが携帯電話には差し込まれています.このカードはどの通信事業者のものでも同じ形をしていますが,日本では契約していない通信事業者の携帯電話に差し込んでも利用できないようになっています.これをSIMロックといいます.しかし,特に欧州の国の多くではこのような制限が外され,どの通信事業者の携帯電話でも利用できるようになっており,このような使い方ができるようにすることをSIMロック解除とよびます.

総務省はSIMロック解除に向けた意見募集を5月から約1か月間行い,その調査結果を踏まえて今回のガイドラインが発表になりました.では,結果はどうであったかというと,「本ガイドラインの位置づけ」として,以下のように述べています.

『本ガイドラインは、事業者に対し、SIMロック解除を強制するものではないが、事業者は、SIMロック解除について、本ガイドラインに沿って、利用者の立場に立った取組に努めるものとする。』

このガイドラインの位置づけは極々当たり前のことが書かれているだけで,事業者が拒めば何ら現在の状況から変わらないことを示しています.利用者の立場に立った取組に努めると言ったところで,たとえ務めなくとも強制力はないので意味がありません.こんなガイドラインを作るようでは,日本の携帯電話のガラパゴス化は解消されず,ますますグローバル社会についていけなくなりそうです.

総務省のガイドラインがどうであれ,巷ではSIMロック解除が進んでいます.特に,今,売れまくっているiPhoneはSIMロック解除方法までインターネットサイトで公開され,ソフトバンクでしか使えないはずのiPhoneにNTTドコモのSIMカードを差して使っている人も大勢いるようです.技術的に解除されるのであれば,はじめからロックなんてしなければよいですよね.

今回のガイドラインが発表されたことで,ある携帯電話端末に限ってSIMロック解除を正式に認める通信事業者が出てくる可能性があります.そのような端末がユーザにどのように受け入れられるか,その評判が市場原理となって今後の標準化に大きく影響していくことでしょう.もし,どの通信事業者もSIMロック解除を認めなかった場合,一番被害を受けるのは私達ユーザです.なぜなら,海外に行って携帯電話を使う場合,そのまま日本で使っている携帯電話+SIMカードで国際ローミングをすると,場合によっては1日何十万という料金が発生することもあるからです.しかし,SIMロックが解除されれば渡航先の国でプリペイドSIMカードを買って使えばよく,全く無理のないコストで携帯電話の利用が可能となります.さらに,日本国内でも通信事業者に縛られることなく好きな携帯電話端末を利用できるようになります.このようなことができないだけでも十分利用者の立場に立った取組ではないことがわかるでしょう.すなわち,通信事業者がSIMロックを解除しない場合は,今回のガイドラインに沿った取り組みに努めていないことになります.しかし,強制力がないから何も変わりません.そんなことにならないよう,日本の通信事業者にはよく考えてもらいたいものです.

「SIMロックの解除に関するガイドラインの公表」に関するホームページ:
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02kiban02_02000046.html

2010年6月30日水曜日

制携帯って何?

「制携帯」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?「制服」ならありますね.「制携帯」とは学校指定の携帯電話です.2009年1月30日に文部科学省は「学校における携帯電話の取扱い等について」,という通知を行いました.小学校及び中学校において,学校への携帯電話持ち込みを原則禁止し,高校における携帯電話の使用を制限するというものです.この携帯電話の禁止・制限では,情報モラル教育の取り組みとして,ネット上のいじめや違法・有害情報から守る,ということを重要視しているようです.

このような通知を受けてのことだと思いますが,学校指定の携帯電話,「制携帯」を義務付けて教員・生徒間や生徒同士の通話・電子メールに使ってもらうという試みが,ある私立中学・高校で始まりました.そう,教員も「制携帯」を使うそうです.学校側の意図としては,携帯電話を禁止するよりも正しい使い方を教えることが重要だとしてこの制度を実施したそうです.月額使用料はかかりますが,定額サービスを利用しているため通話料は無料だそうです.携帯サイト閲覧に関しては時間による制限やフィルタリング設定があり,また,ネット上のいじめなどの問題が発生した場合には保護者の了解のもとに学校が履歴を閲覧したりGPSで居場所を取得したりできるとのことです.

文部科学省が携帯電話の使用に関して口を出すこと自体理解できませんが,学校指定の携帯電話を導入することもどうかと思います.「制携帯」を使うことで携帯電話の正しい使い方が学べるのでしょうか?生徒にとっては「制携帯」とは別に自分の携帯電話を持っているのが普通であり,その携帯電話の使い方が正しくないと言われても受け入れられるはずがありません.

この学校の生徒会が2009年に行ったアンケートによると,「制携帯」は使いたくないという生徒が3割以上だったとのことです.一方,この制度が開始されてから保護者に対して行ったアンケートでは,9割が肯定的だったそうです.学校側は,教員と生徒のコミュニケーションが楽で密になり,生徒も家で勉強がわからない時は教員にメールすることが増えている,と話しています.生徒が家で勉強しているときにわからないことがあるからといって,教員にメールするようなことをされたら教員はたまったもんじゃありません.教員の方が精神的にダウンしてしまいそうです.

禁止・規制で物事を解決するのではなく,正しいやり方を指導するというアプローチは賛成です.しかし,何が正しいやり方であるか学校側は本当にわかっているのでしょうか?文部科学省は情報モラル教育の取り組みを謳っているようですが,まず,教員の情報モラルはどうなのでしょうか?携帯電話のメールもまともに使いこなせないような教員が,生徒に対して情報モラル教育などできるわけがありません.情報モラルだけの問題ではありません.家で勉強がわからない場合にそれを教員にメールで聞くようなことを「良し」とするなどめちゃくちゃです.わからないことがあれば,授業中に聞くという教育を,まずはじめに行うべきではないでしょうか?

「制携帯」や国民番号制など,組織による監視制度が浸透していくと,日本は危険な状態に陥りそうで怖いです.

2010年6月29日火曜日

視覚の不思議

私達は目という感覚器官を通して3次元構造の様子を見ることができます.このような現象を視覚と言うのはご存じのとおりです.外界の3次元映像が光となって網膜に像を結び,その信号が視神経を経由して脳で理解されるためにその様子を知覚します.ところが,網膜像は2次元構造なので,もともとあった3次元の情報は失われています.しかし,脳はその2次元情報から3次元情報を作り出しています.次元の低い情報から次元の高い情報を生み出すことは理論的に不可能であり,そのような問題を不良設定問題と呼びます.2次元情報を無理やり3次元の情報に作り変えるには何らかの仮定を設定しない限り不可能なのです.しかし,視覚に関するこのメカニズムは現在解明されていません.

外界の3次元構造から2次元の網膜像を得ることを光学,逆に,2次元の網膜像から外界の3次元構造を推定することを逆光学と言うことがあります.そして,後者を視覚情報処理とも呼びます.視覚情報処理では,触った感覚などこれまでの経験から,2次元情報の意味する内容を仮定し3次元に変換しているのかもしれません.どのような仮定があるのかははっきりしませんが,実際に私達は奥行きという情報を視覚によって得ていますので,「何か」は必ずあるのでしょう.しかし,もしそれが本当に経験に基づく仮定だとすると,私達が見ている3次元構造は実物なのでしょうか?もしかすると全く異なるものなのかもしれません.ある研究で,上下左右が反対に映るメガネを何日もかけて生活するという実験をしたところ,最初,被験者は気がおかしくなりそうだと言っていたようですが,次第に慣れて通常の生活ができるようになったそうです.この実験結果からも,実際に視覚によってもたらされた映像が実物と上下左右が反対だとしても全く問題ないことがわかります.

このように考えると,人間の五感といわれるものは単なるセンサにすぎず,実際は予想もできないような変なものを感じているのかもしれません.しかし,私達がそれを知ることができない以上,そんなことあり得ないと言い続けることも可能なのでしょう.真実とは一体何なのでしょうかね?

2010年6月28日月曜日

国際宇宙ステーションを見る

これまで多くの宇宙飛行士が滞在してきた国際宇宙ステーション(ISS: International Space Station).この夢を乗せた宇宙船は地上約400kmの高さに位置しており,約90分で地球を1周します.ある意味,巨大な人工衛星ということができますが,それは本当にデカイです.ソーラーパネルを広げた姿は,ほぼサッカーグラウンドと同じ大きさです.こんなに大きなものなら見えるのでは?と思ってしまいますが,実は肉眼で見えるのです.条件がそろえば,日の出前と日没後2時間ほど日本で見えます.宇宙航空研究開発機構(JAXA)では,いつ,どこからどの方角に見えるかという情報を提供していますので,是非JAXAのホームページを訪れてみてください.

また,ISSを写真に撮ることもできます.レンズの絞りを開放し,ピントを無限大に設定可能であればデジカメでもOKです.ただし,三脚は必須です.これらについても,JAXAのホームページで詳しく教えてくれています.撮れた写真をJAXAに送ると,ホームページに載せてもらえるみたいです.しかも,名前入りで.あまり多くの応募があるとすべてを載せてもらえなくなるかもしれませんので,今のうちにチャレンジしてみてはいかがでしょう.いい思い出になりますよ.

「国際宇宙ステーションを(ISS)見よう」のホームページ:
http://kibo.tksc.jaxa.jp/
「国際宇宙ステーションを写真に撮ろう」のホームページ:
http://iss.jaxa.jp/iss/map/issphoto.html

2010年6月27日日曜日

古くて新しい音楽

「あれっ?これってすごく懐かしい!」,と何度口に出したことでしょう.最近,大学生が使っているパソコンや携帯音楽プレーヤから流れてくる音楽を聴くと,20~30年前に流行った曲であるということが多いです.何故そのような曲を知っているのかと聞くと,アニメの主題歌であったり,インターネットで何気なく紹介されていて気に入ったとか,さらには,カバーされた曲のオリジナルだったりとかが理由だそうです.面白いことに,自分の親が聴いていた曲だったから,という人はひとりもいませんでした.このようにして出会った音楽は時代的には古くても,彼らにとっては新しい音楽なのでしょう.

「古くて新しい音楽」という現象が起こっているのは,音楽がデジタル化されて音質が劣化せずに今日でも聴くことができる,というのも一つの理由でしょう.CDが無かった時代では,音楽はレコードというメディアで供給され,それをカセットテープに録音して聴くというのが一般的でした.しかし,このようなアナログ世代の音楽は,今聴くと明らかに音質が悪く,それ自体が古さを感じさせてしまい,人によってはそのような音楽を受け付けなくなってしまうことがあります.しかし,CDというデジタル世代に作られた音楽は,メディアが変わったとしても当時の品質が保たれているため,古さをあまり感じないのでしょう.

このような品質に関わること意外に,音楽の販売方法に関しても大きな違いがあります.インターネットで音楽を購入するようになる前は,CDという十数曲がパッケージ化されたアルバムという形で音楽を購入するのが一般的でした.ところが,インターネットによる音楽のダウンロード販売が開始されると,音楽は曲単位で買われるようになりました.それもそのはず,あまり好きでもない曲を含むアルバムを買うくらいなら,気にいった曲だけを買えばよいというのは極めて合理的な判断です.このような販売の仕方を考えると,アルバムという概念はあまり重要ではなく,歌手名や音楽の種類を中心に曲が選ばれるようになります.そうなると,たとえ何十年も前の曲でも,音楽の種類で検索するとそれらがリストに入ってきます.何気なくそれらを視聴してみると自分の好みと一致して,誰が歌ったとか,いつの歌だとか関係なく購入するということがあたりまえになります.これによって,発売時期は古くても本人にとっては新しく発見した音楽ということになります.

このように考えると,有名歌手というブランドや発売された時期などに左右されるような音楽の視聴方法は減ってきて,自分が気に行ったものを買うという,本当の意味で個人の嗜好が反映された音楽の楽しみ方が一般的になってきたといえます.アマゾンなどのオンライン書籍販売において,売れどころの本だけが収入源ではなく,莫大な量の昔の本や少しのユーザにしか売れない本による収入が大きな利益を生み出しているという,「ロングテール」という現象があります.これは,書店のように限られたスペースにすべての本を保存する必要が無くなったオンライン書籍販売ならではの現象です.これと同じことが音楽のオンライン販売にも起こっているということができるでしょう.デジタル化された情報であれば,「もの」は一つだけ電子的に存在すればよく,あとは購入者がそのコピーをダウンロードするだけなので場所を取りません.もちろん,情報を保存するためのハードディスク容量はさらに大きくしていく必要がありますが,小型化の技術や大量生産の恩恵に預かり,ハードディスクのコストは無視できるほど小さくなります.本当に良い時代になりました.

すべての古いメディアがデジタル化されて,新しいメディアとともに同じ電子の棚に並べられるかどうかはわかりませんが,これまで以上にそれが増えていくのは間違いないでしょう.その時必要になってくるものは,とてつもなく多くのメディアから一番よいものを中身を見ずに選択することができる技術,ということになるでしょう.

2010年6月26日土曜日

新30年ビジョン

「新30年ビジョン」,なんと素晴らしい言葉でしょう.最近では経済的に明るい話がほとんど出て来ませんが,30年後の2040年のビジョンについて語るとは.これを語ると言うことは,もちろん明るい話題であるはずです.

2010年6月25日,ソフトバンクの孫正義社長が1981年の会社設立から30年にあたるまさに今,これから30年後という長期的ビジョンを発表しました.「やるな~!」と思うのは,30年後に会社を時価総額200兆円規模にするということです.30年後の経済なんてどうなっているかもわかりませんが,このようなギョッとするような発言をするとは,さすがにのりにのっている会社の社長です.たとえ不可能だとしても,このようなスカッとするようなことを言ってもらえると明るい未来を感じます.この新30年ビジョンに含まれるもう一つの目玉は,現在800社という戦略パートナー企業数を5000社に増やしたい,といったことです.戦略パートナー企業5000社というと,規模的には世界有数,もっというと,世界で誰もが知っているような大企業です.孫社長曰く,世界でトップ10に入る企業を目指すそうです.

孫社長は現在52歳で,30年後は82歳です.そうなるととてもじゃないですが,第一線の経営者であるはずがありません.「なんと無責任な発言?」とも思えましたが,そこはさすがの孫社長,ちゃんと考えていました.来月から後継者養成のための「ソフトバンクアカデミア」という学校を開校するそうで,自ら週1回の指導にあたるということです.これだけ世間を湧かせている社長が忙しくない訳がありません.その社長が週1回のペースで,後継者養成学校にて指導をするというのはかなり本気です.本当に凄い人は,重要なことを部下には任せず,自分から現場に出向いて哲学を伝授するのですね.

ふと思ったのですが,「ビジョン」という言葉はとても有効な言葉ではないでしょうか?それ自体夢を感じますし,また,実現できなかったからといって非難されるようなものでもありません.なぜなら,”vision”という英語の意味は,「見通し,展墓,空想,幻」などであるからです.政党が掲げる「マニフェスト」なるものも,衆議院議員の任期に合わせて「4年ビジョン」とでも言っておけば,あまり叩かれなくてすむのではないかと思いました.

2010年6月25日金曜日

大学にも広告を!

1週間ほど前,新聞の広告費が減ってきたというブログを書きましたが,新聞に限らずテレビ,雑誌,ラジオの広告費もここ5年間では確実に減少しています.その反面,インターネットの広告費は右肩上がりで,今や最も効率のよい広告メディアとされています.広告はおもに3者間の利益循環から成り立っているということができます.すなわち,広告主,広告場所提供者,広告閲覧者です.広告主は広告による商品やサービスの消費者への認知と購買を期待し,広告場所提供者は広告場所というインフラを広告主に提供することで収入を得,広告閲覧者は何かのついでに広告が目に入ることによって労力を使わなくとも情報が入って来ます.広告場所というインフラは一般的にメディアということになっていますが,何もメディアにこだわらなくてもよいと思います.多くの人が注目する場所であれば,何でもビジネスにすればよいのです.

一つの提案ですが,大学の教室に広告を出すことで,大学が収入を得るというビジネスはどうでしょうか?授業中,学生は教員の方を向いているわけですので,教室の黒板側に電子的な広告を出すのです.理工系学部ではコンピュータ画面をスクリーンや大型ディスプレイに映して講義をする教員が多いので,そのスクリーンや大型ディスプレイを広告に利用すれば一石二鳥です.間違いなく学生はそれらの広告に目が行くでしょう.大学側が,「そんなことをしたら勉強に身が入らない」,などと言うのであれば,それは明らかに大学の授業がどういうものかわかっていない発言です.1コマ90分の授業を最初から最後まで集中して聞いていられる学生などほとんどいません.また,広告もいくつかの種類に限定してサイクリックに表示すれば,その段階で広告を見るのをやめてしまうはずです.むしろ,ちょっとした息抜きになる映像が何気なく視界に飛び込んでくることで,それを見終えた後は逆に集中力がアップするものです.さらに,そのような広告場所を提供することで大学の収入源にもつながりますし,その収入を利用して学生へのサービスを充実させることもできます.企業も大学に特化した広告を出せるということで,新たな戦略的営業が可能になります.学業を行う場だから広告はふさわしくない,というような時代はとっくの昔に終わっています.

少子化が進む中,大学経営も決して楽ではない時代です.だからこそ,これまでの古い慣習や根拠のあいまいなタブーにも踏み込み,新しい大学のスタイルを築き上げるべきでしょう.教育の場にビジネスが入るのを拒むのは変です.学校だってビジネスですから.実際,コンピュータルームに製造会社の名前が入ったパソコンやプリンタが置いてあるだけでも,無償で広告場所を提供しているのと何ら変わりません.それなら,初めからビジネス目的で広告場所を提供し,「この広告収入で学生へのサービスが賄われています」,ときちんと提示することで納得を得る方が有効ではないでしょうか?大学によっては,ホームページに掲載する広告を募集しているところもあります.ホームページ上に広告があってもよいなら,大学の教室やいたるところにあるディスプレイに広告があってもよいでしょう.

2010年6月24日木曜日

iPadの売り上げ

2010年4月3日にアメリカで発売されたアップルのiPad.ものすごい勢いで買われているようです.わずか80日間で累積販売台数が300万台を突破したとか.80日で300万台以上売れたということは,全世界で1日37,500台以上です.

iPadは3Gモデル,Wi-Fiモデル,3G+Wi-Fiモデルがあり,内蔵メモリ容量の違いまで含めると6種類のモデルがあります.価格は48,800円から81,800円とかなり差がありますが,販売台数の重みをかけた平均的な購買価格は70,000円です.この値段をもとに300万台分の売り上げを計算すると,なっ,なんと2,100億円です!たった一つの商品だけで80日間で2,100億円,1日平均26億円以上の売り上げですよ!

現在,アメリカ,カナダ,日本,オーストラリア,ドイツ,イタリア,スペイン,スイス,イギリスの9か国で発売中です.7月には,オーストリア,ベルギー,香港,アイルランド,ルクセンブルク,メキシコ,オランダ,ニュージーランド,シンガポールで発売開始予定.このままのペースでいくと,1年間の売り上げは一つの商品だけで1兆円を超える勢いです.確かに凄いです.

このiPadと関連して,日本でも電子書籍の販売ビジネスがどんどん増えており,iPadの購入をさらに加速させそうな雰囲気です.このブームはいったいどこまでいくのやら・・・.

確かにiPadは魅力的な商品なのかもしれませんが,とにかくこの売上高にびっくりしており,今何も考えられなくなってしまいました.今日のブログはここで終わりにします.眠れなくなりそうな予感・・・.

2010年6月23日水曜日

ハース効果

人間の耳は不思議なセンサです.耳というより脳と言うべきかもしれませんが,面白い現象を紹介したいと思います.今,2つのスピーカから等距離の位置で音を聴いており,2つのスピーカから同じ音が出力されているとします.当然,左右の耳から同じような音がほぼ同じ音量で聴こえるはずです.この状態で,片方のスピーカから出力される音の信号を少しだけ遅らせて(数十ms程度)再生したとき,どのような音が聞こえるでしょうか?実は,片側から遅れた音が聴こえるのではなく,遅らせていない信号が出力されているスピーカの方から,音が聞こえてくるように感じます.このような効果をハース効果といいます.すなわち,音の定位が中央からはずれ,最初に出力されたスピーカの方に移ります.人間の脳は遅れてくる音は聞かないような制御をしているようですね.

ここで面白いことを考えてみたいと思います.音と同じことを映像で行ったらどうなるでしょうか?今,2つのテレビが目の前に左右並んで置かれており,同じ映像が流れているとします.このとき,片方の映像を少しだけ遅らせて流した時,どのような映像を見ているように感じるのか,大変興味があります.ただし,このとき音は流れていないこととします.はたして,遅らせていない映像が流れているテレビのほうから映像が流れてくるように感じるのでしょうか?
このような実験を実際にやってみたことはありません.映像は光の信号として目に飛び込んでくるので,音の場合と同じように数十msの遅延をかけた場合その値が大きすぎてハース効果が現れないかもしれません.しかし,もっと遅延を小さくすると,もしかすると映像がやってくる方向もずれるなんてこともあるのかもしれません.ただし,人間の眼がどの程度の時間差まで検知できるのかに寄るかもしれません.

たわいのない妄想かもしれませんが,視覚に関してもハース効果のようなものがあるとすれば,体感する映像信号の進路が曲げられたことになります.実際には光は曲がっていないのですが,人間から見ると,時間的に少し異なる2つの同じ映像は,道筋を曲げられた1つの映像と考えることができそうです.この現象は,大きな重力があると光が曲げられるという一般相対性理論と似ています.実際に天体観測でこのような現象が観測されています.ある銀河系の裏側に強いエネルギーを出す天体があり,その天体の出す光が4つに分かれて見えるというものです.それら4つの光は同じ光を出していることが詳しい観測でわかり,しかもその光の変化に時間差があるということです.この現象を銀河系の後ろにある天体の立場に立って見た場合,異なる4つの光源から同じ光が少しだけの時間差を持ってやってきた時,ある1つの方向から来る光に見える,というように解釈できないでしょうか?

空想(妄想)に空想(妄想)を重ねた議論かもしれませんが,実際にこんなことがあったら面白いですね.映像に関するハース効果の”妄想”が一般相対性理論と大きく違うのは,強い重力というものを考えていないことです.しかし,こんなふうに科学と工学を結びつけて考えると,新たな発見ができるかもしれません.すぐ目の前に転がっているけど気づかない,そんなことが発見なのでしょう.

2010年6月22日火曜日

携帯で検索!

「携帯電話を利用する中学生の8割強が,携帯のネット接続で宿題のわからない点を調べている」,というニュアンスの記事が,2010年6月21日の朝日新聞朝刊に出ていました.iPhoneのようにパソコンと同じ検索サイトを利用しているならともかく,携帯電話の検索サイトは検索語を入力しても得られる結果が少なく,十分な情報が得られないはずなのですが・・・.

自宅でパソコンを使える環境がほぼ整いつつあるにもかかわらず,何故携帯電話で検索するのか不思議でした.とても気になったので最近のパソコン・携帯電話の利用法を調べてみると,中学生・高校生はパソコンをあまり使わないということが判明しました.文章を書くときも携帯電話で何百文字も打ち込み,それを電子メールで送信してパソコンで受け取るようです.そして,その文章の体裁のみを整えて印刷するという作業の仕方が一般的であるという情報を得ました.もし,これが真実だとしても,何故,わざわざ小さい画面で,かつ,入力しにくい携帯電話のキーで文字を入力するのでしょうか?答えは意外なものでした.現在の中学生・高校生はパソコンのキーボードを使うのが苦手なようです.使えないわけではないのですが,携帯電話のキー入力の方がはるかに速く入力できるのだそうです.また,普段から電子メール,ゲームなどで携帯電話を頻繁に利用するので,画面が小さいということに対してはほとんど違和感がないそうです.

正直,この事実には驚きました.パソコンを利用する年齢がどんどん下がっているので,今では小学生や中学生ですらパソコンを使いこなしているのかと思いましたが,違いました.もちろん,パソコンを使えないのではなく,個人で利用する携帯電話でほとんどのことができてしまうので,わざわざ家の共有パソコンを使う必要がないのです.そう考えると納得がいきます.そういえば,ある大学の教員から,携帯電話でレポートを書いて提出してくる大学生がいるという話も聞きました.大学のレポートとなれば,それこそ数行程度で済むものはほとんどなく,数十ページにおよぶものと考えられますが,それでも携帯電話でレポートが書けてしまうのです.

世代の違いとは恐ろしいものですが,このような状況は決して否定するものではありません.なぜなら,これこそがこの時代のライフスタイルだからです.パソコンが一番と考えるのはもう古いのかもしれません.それよりも問題なのは,検索することで答えが出てしまうような宿題を出す教員側です.授業時間内では十分に時間を取れない勉強も,宿題であれば可能です.したがって,インターネットで何かを調べてわかるような宿題ではなく,学生の思考を重要視する課題,すなわち,考えることに重点を置いた宿題を出すべきだと思います.検索してわかるようなものであれば,それこそ授業中に携帯電話で調べてしまえばよいのでは,と思います.授業中に携帯電話を使うことに違和感がある教員もいるかもしれませんが,iPadを授業に取り入れようとする学校もありますので,それが良くて携帯電話が悪い理由は見つかりません.授業中の携帯電話での通話は問題ですが,携帯電話もパソコンと同様,教材の一部と考える時代になったと思います.

2010年6月21日月曜日

バイノーラル録音

音楽を聴くときに,スピーカから聴くよりもヘッドフォンを用いて聴いたほうがより良い音に聴こえます.それは,耳に近いところに音源があるため,外部のノイズや変な反射が起きないからです.しかし,良いことばかりではありません.スピーカから聴こえる音は耳までの距離が左右異なるため,その到達時間の差によって立体感を味わうことができますが,ヘッドフォンの場合は左右の音がちょうど頭の中央に位置しているように感じ,頭内定位という現象が起きます.これは,頭の中で音が鳴っているように感じるため,大きなボリュームで長時間音を聴いていると頭が痛くなります.

この問題を解消し,かつ,臨場感を与えるために考案されたバイノーラル録音という技術があります.この録音方式は,人間の頭の形を真似たダミーヘッドという人形を用い,その左右の耳の中にマイクロフォンを設置します.こうすることで,実際に人間の鼓膜に届く音響信号に近い音で録音することができるため,その録音された音をヘッドフォンで聴くと立体感・広がり感が出るのです.また,左右それぞれの耳で聴こえる音を録音するので,頭内定位の問題もある程度解決されます.

バイノーラル録音には欠点もあります.人間は前からやってきた音か後ろからやってきた音かの区別もできます.これは,音源から左右の耳までの距離が微妙に異なるため,その差異が前後の判別に役立っているからです.しかし,バイノーラル録音では頭を回転させても音源も一緒に回転してしまいます.テレビ画面を見ている時にヘッドフォンでバイノーラル音声を聴いている際,頭を少し回転させたとしても前方から聴こえている音は常に本人の前方からしか聴こえないため,前後方向の立体感を味わうのが難しいです.さらに,ダミーヘッドを用いてバイノーラル録音された音は,ヘッドフォンと耳との間の音響特性とは異なりますし,また,ダミーヘッドと実際の人間の耳および胴体を含む音響特性も異なるので,完全に録音状態を再現することはできません.

このように,いくつかの問題点はありますが,実際にバイノーラル録音された音は臨場感のある再生できますので,音楽アルバムなどに利用されています.耳は音を受信するための感覚器官ですが,そこにマイクロフォンを置くことで臨場感を出すというアイデアはとても素晴らしいものです.

2010年6月20日日曜日

気温の定義

天気予報や天気ニュースなどで,その日の最高気温,最低気温が伝えられ,私たちはその値をもとに今日は暑かった,明日も暑いのかあ・・・,などとついつい口走ってしまいます.その「気温」についてですが,もう少し気のきいた伝え方ができないものかと常日頃感じています.

通常,「気温」というと,地上から1.5mほどの高さでファンがついている百葉箱の中の温度計が示す値を表します.しかし,誰がファンのついた百葉箱の中の温度を知りたいのでしょうか?私達が知りたいのは,外出先の温度,例えば,東京駅八重洲口の外や,上野動物園のサルの前など,ある場所での実際の温度です.東京の百葉箱の中の温度が33℃だからといって,東京の気温が33℃と言われても役に立ちません.実際の上野動物園で太陽の直射日光が当たる場所は38℃だったりするわけですから.

統計を取る上で気温の測定条件をいつも一定にするのは結構です.しかし,それらの値を天気予報や天気ニュースで知らせても私達にとっては重要な情報ではないのです.せめて,アスファルトの反射で最も熱くなりそうな代表的な場所の温度などを報告して欲しいものです.

現在,小型化された温度センサや携帯電話に代表される常時利用可能なネットワークがあるのですから,様々な場所の温度をリアルタイムで収集し,インターネット上に配信するのは簡単です.例えば,携帯電話に温度センサを内蔵することなど朝飯前ですし,数十分に1回くらい位置情報と温度・湿度情報を送信してもほとんどコストもかかりませんし,バッテリーの消耗も気にするほどではありません.そのようなデータがすべての携帯電話から集められれば,統計的にかなり良い精度の気象データベースが構築できます.

そのようなユーザ参加型のアプリケーションがもっと増え,あまりケチケチした考え方をせず,みんなのためのみんなの貢献という考え方が浸透すると,豊かなモバイルライフが実現するのではないでしょうか?

2010年6月19日土曜日

中途半端なIT化

組織の中では相変わらずお役所仕事と言わんばかりに,検印の習慣が根強く残っています.何故日本人はこれほどまでに,印鑑を押すことに固執するのかさっぱりわかりません.外国では本人が確認したことを証明するのにサインをします.サインだと他人が真似をして書く恐れがあるというのであれば,誰でも簡単に同じものを作れる印鑑の方がはるかに問題です.おかしなことに,外国人であれば印鑑でなくともサインでよいという状況すら多々あります.一体このようなシステムを運用している組織は何を考えているのか不思議で仕方がありません.

先日,クレジットカードを申し込むときに,申請書に記載する銀行口座番号を間違えたため,わざわざ訂正印を押して修正しました.その後,カード会社は書留郵便でその申請書を送り返してきて,修正印は銀行の登録印で行うようにとのことでした.しかも,審査は既に終わっていることも記載されていました.さらに,数日以内に検印の上返信を行わない場合,申請書は無効になるとのことです.「何様だ,ばかやろう!」と言いたくて仕方がありませんでした.せっかくそのカード会社でクレジットカードを「つくってやろうと思っていたのに!」です.その段階でカードを作るのを辞めてしまうと,それまでの雑用が無駄になってしまうのと,そして,年会費が無料だということだったので素直に言われたとおりにしましたが.

もっとおかしな話があります.組織における書類を提出する際,文章の作成はコンピュータで電子的に行えるのに,いざ提出するとなるとそれを印刷して印鑑を押さなければならないことがあります.さらにもっとひどいこととして,文章はファイルとしてシステムにアップロードできるのに,その作業が完了したときに現れる画面を印刷して,さらに,印鑑を押して提出することさえあります.正直,「何のこっちゃ!」です.最終的には電子署名システムを導入するつもりで,今はまだその過渡期ということで署名部分だけ紙を使っているのかもしれませんが,そういう中途半端なIT化はかえって仕事の効率が悪くなり,IT化などしない方がよっぽど良い場合がほとんどです.

こんな馬鹿げた運用を行っている組織が,今の日本には数え切れないほどあります.そして,それによって仕事の効率が悪くなっていることが分かっているにもかかわらず改善しようとしない,あるいは,効率が悪いことすら口にしないでひたすらそれを続けているという環境は異常です.

どうしても個人を特定するためのサインや実印が必要であるならまだしも,どうでもいいような書類にまで検印させるようなシステムはさっさと葬ってほしいものです.これまでそうやってきたので現在も続けている,というようなことをいう人がいるなら,その人にはさっさと辞めてもらった方が組織のためになるでしょう.

愚痴のようなブログになってしまいましたが,愚痴ではなく実際にこのようなことがほとんどの組織でまかり通っている,という事実に対する驚愕と怒りをついつい述べたくなったのです.きっと,私と同じ意見を持つ人は大勢いると思います.

2010年6月18日金曜日

クラウドは敵それとも味方?

クラウドコンピューティングはネットワーク側にコンピュータの機能を配置し,必要な機能をネットワークサービスとして利用するコンピューティング形態です.とくに,IaaS(Infrastructure as a Service)はハードウェアの機能自体もサービスとしてユーザに提供しますので,ユーザは入出力装置,すなわち,キーボード,マウス,ディスプレイが備わったネットワーク機器さえあればよいことになります.コンピュータのCPU,ハードディスク容量などは年々性能が上がり,かつ,値段が安くなっています.それならば,自分でパソコンを購入しないで,簡単に契約変更でアップグレードできるクラウドコンピューティングはユーザにとって魅力的なサービスです.

しかし,このサービスが家庭における一般的なコンピューティング形態になった場合,パソコンという端末の価値はどうなってしまうでしょうか?現在,様々なメーカーが独自の機能,デザイン,搭載ソフトウェアを売り物に商品としてのパソコンを設計していますが,クラウドコンピューティングを利用する場合は,パソコンは何でもよくなります.つまり,安いパソコンしか売れなくなり,そして,デザインやパソコンメーカーのブランド力など消え去っていくことでしょう.何十年も前からこれと似たような現象は起こっています.デスクトップコンピュータが,いわゆるIBM互換機という名で一般化されたとき,CPU,マザーボードなど,一般的な規格部品で作られたパソコンであればマイクロソフトWindowsは動きました.したがって,特に有名ブランドのパソコンを買う必要が全くなくなりました.その後,ノートパソコンの時代になり,いったんは各社オリジナルパソコンを差別化して製造しましたが,結局同じような機能,デザイン,価格に落ち着いてきました.

そう考えると,クラウドコンピューティング時代ではこの傾向がさらに加速し,携帯電話にもそれが進み,端末の個体差は要求されなくなるでしょう.そのときは,iPhoneとかAndroid携帯などはネットワークの向こう側のサービスに過ぎず,小さな箱さえあれば,いかなる携帯電話も簡単に切り替えて使えることでしょう.また,新しい携帯電話を持つという満足度はもはや意味が無くなり,携帯電話メーカーは価格下げ競争に身を投げることになります.言い換えると,クラウドコンピューティングの発展は,端末メーカーの衰退につながるわけです.所有するという楽しみがどんどん減ってしまうのは寂しいものです.ハードウェアだからこそ「愛着」が湧くのです.ソフトウェアの利便性とハードウェアの愛着双方が満たされる形で,クラウドコンピューティングの時代を迎えたいです.

2010年6月17日木曜日

新聞の消滅は近い?

「最近の若者は新聞を読まない!」,という大人の発言は既に終わったようです.若者に限らず年配の人も新聞を読まなくなっていますし,購読するのをやめています.では,近年盛んに言われているように,新聞購読者数が減っているから新聞社の赤字がどんどん膨れ上がっているのでしょうか?実際には購読者数の減少よりも,広告収入の減少の方がはるかに打撃を与えています.広告を出す方からすれば,紙の新聞よりもインターネットのほうが,収入効果が高いはずです.それもそのはず,いくら新聞に広告があったとしても,そこに表示されている以上の情報はなく,また,その情報をもとにどこかに商品を買いに行かなくてはなりません.インターネット上の広告であれば,クリックするだけで詳細情報を取得することができますし,購入もできます.また,閲覧者数の確保という意味でも,人気のあるブログやホームページは最高の広告プラットフォームです.そのような状況では,新聞広告が減っていくのは当然です.

そもそも新聞のよいところは何でしょうか?広げると大きすぎて邪魔ですが,唯一よいと思われることは,記事の場所および記事の占める面積によって重要度がすぐにわかることでしょう.しかし,インターネット上のニュースの場合でも,主要ニュースやランキングなどで重要度はすぐにわかります.また,様々な種類の新聞を紙で見比べるのは大変ですが,インターネット上のニュースであれば簡単に切り替えて比べることができます.これらに加えて,インターネット上のニュースは検索が容易ですし,現在のところ無料です.これでは新聞を読む人が減るのは当然ですね.

以上,インターネット上のニュースのよいところばかり見て来ましたが,どう考えても紙媒体の新聞というものは存続する理由が見つかりません.インターネット上のニュース,メールマガジン,Twitterと比べると,新聞はもはや迅速にニュースを伝えるメディアではなくなっています.同じニュースを伝えるためには大きな紙に印刷される必要は全く無くなってしまいました.ある意味時代の流れなのでしょうが,新聞の消滅は近そうです.

2010年6月16日水曜日

日本の大学授業料は安い!?

まさしく,びっくりマークとはてなマークを付けたくなるような話です.現在,日本の国立大学の年間授業料は約55万円で,入学金は約30万円です.4年間では約250万円になりますので,平均的には年間約60万ちょっとです.一方,私立大学では,文科系学部が約95万円,理工系学部が130万円です.

これらの学費を見ると決して安くはないと思いますが,現在アメリカでは大学の授業料がどんどん上がり続けており,もっと大変なことになっています.州立大学の場合は,納税者かどうかで授業料が異なります.例えば,カリフォルニア州立大学バークレー校では,州外の学生は州内の学生に比べて授業料を3倍以上払わなければなりせん.具体的にどれくらいかというと,全米州立大学の平均授業料は,学生が州民の場合は約90万円で,最も高いところでは約140万円です.非州民の場合は最も高いところで約250万円です.州立大学の年間授業料は,日本の国立大学と比較すると1.5倍から4.2倍と大変高いです.

さて,アメリカの私立大学ではどうでしょうか?恐ろしくて手が震えるほどです.ランダムに選ばれた約50の大学の平均授業料は約360万円,最も高いところで400万円を超えます.1年間の授業料ですよ!?

特に州立大学の学費はまだまだ上昇を続けているそうで,卒業後は在学中に借りた学資ローンの返済ができなく,多くの人が困っているそうです.これほどまでに高いアメリカの大学授業料を見てしまうと,日本の大学授業料は安く見えて仕方ありません.もちろん,決して安くはないのですが・・・.日本は10~15年前のアメリカと同じような道を歩んでいると言われることがありますが,確かにその傾向が見られないとも限りません.物の価格はどんどん安くなっているにもかかわらず,大学の授業料は右肩上がりにずっと上がり続けています.この事実を真剣に受け止め,どこかの時点で対策を講じないと,本当にアメリカと同じ道を進んで行きそうです.

2010年6月15日火曜日

”はやぶさ”が帰ってきた!

「おかえり!」,と思わず言ってしまいました.2003年に打ち上げられた小惑星探査衛星”はやぶさ”が7年の出張を終えて帰ってきました.本当に素晴らしい仕事をしてきました.”はやぶさ”は目的地に行ってそこの土や砂などの試料を地球に持ち帰る,いわゆるサンプルリターン方式の探査衛星です.実際に小惑星イトカワから砂が入っていると期待されるカプセルを持ち帰りました.とにかく距離にして60億キロメートルもの旅をしてきたというのは凄いことです.イトカワの試料についての詳細はその後の解析を待たなけれななりませんが,回収されたカプセルを見た専門化は破損がなさそうと言っていましたので期待できます.

“はやぶさ”から分離されたカプセルは,2010年6月14日16時8分(日本時間)に,オーストラリア南部の砂漠で回収されました.驚くべきことに,カプセルの落下地点は予想された場所から1キロメートル程度しか離れていなかったということです.これだけ大きな地球に対してほんの数十センチメートルのカプセルが落下する位置を,これだけ高精度に予測する技術も素晴らしいです.

今回の”はやぶさ”プロジェクトの成果として,小惑星イトカワの砂を持って帰ってきたということはもちろんのこと,カプセルが大気圏内を飛行中に燃え尽きないような耐熱材料の開発も挙げられます.本プロジェクトは,サイエンス(科学)とエンジニアリング(工学)両方の研究成果が立証されたのです.

現在,”はやぶさ2”プロジェクトがJAXAで進められています.”はやぶさ”がイトカワと呼ばれるS型小惑星を対象としていましたが,”はやぶさ2”はC型小惑星を研究の対象とします.S型小惑星は岩石質ですが,C型小惑星はS型と比べて有機物を多く含んだものと考えられており,太陽系空間の有機物について,さらには,生命体との関係など,ワクワクする研究となりそうです.

2010年6月14日月曜日

コンピュータマウスは動物?

コンピュータのグラフィカル入力デバイスとして一般的なものがマウスです.これは,形がネズミと似ているところからつけられた名前だそうですが,このコンピュータマウスは動物と考えてよいのでしょうか?

何のことを言っているのかわからないかもしれませんので,詳しく説明しましょう.マウスを英語で書くと「mouse」です.複数形は「mice」と書き,「mouses」ではありません.コンピュータマウスが1つの場合は,「a computer mouse」でよいですが,2つの場合は「two computer mice」でしょうか,それとも,「two computer mouses」でしょうか?これは,私が10年位前に疑問だったことです.当時,アメリカ人に聞いたところ,少し考えた後でコンピュータマウスに関しては,「mouses」が正しいのではないかと言っていました.「mice」はあくまでも動物のネズミの複数形であり,コンピュータマウスは固有名詞に相当するので,複数形にする場合は「s」をつければよいとのことでした.しかし,固有名詞と考えるのであれば,どうして「Mouse」と大文字で始めないのでしょう?今でもこれは疑問です.

あれから10年経った今,そろそろこの答えが出ているのではないかと思い,検索エンジンで「mice or mouses」をサーチしてみました.すると,思ったほどこれに関する情報はありませんでした.どちらでもよいという意見もあれば,「mouses」という単語は存在しないので「mice」であるという意見もありました.結局のところ決着はついていない,というより,どうでもよいのかもしれません.私は何でも規則や型にはめ込み,例外をなくさないと気が済まない性格ですので,どなたか合理的な理由とともに説得して頂けると助かります.

ソニーの携帯音楽プレーヤ「Walkman」が2つあった場合は,「two Walkmen」か,「two Walkmans」か,どちらなのでしょうかね?

2010年6月13日日曜日

音と位置の関係

スピーカの近くでは音がよく聞こえますが,徐々に離れて行くと聞こえにくくなり,ついには全く聞こえなくなります.当たり前のことですが,この事実を真剣に考えて何かに応用しようとする人はほとんどいません.どのように応用するかというと,音の聞こえ具合と音源との距離は密接な関係がありますので,位置検出に使えるのではないかと思えるからです.

音は,音波が空気を振動させ,そのエネルギーが伝播することで遠くまで到達します.しかし,空気中を伝播する間にエネルギーの一部は吸収され,最終的には振動が伝わらなくなります.どのくらいの距離まで振動が伝わるかは,音源のパワー,空気の密度,音速などによって決まりますが,空気の密度や音速は日常生活の場ではほとんど一定と考えられますので,音源の出力が与えられれば音の到達距離の推定ができます.音はマイクロフォンによって検出することが可能です.マイクロフォンは音波,すなわち,空気の振動を検出すると,その大きさを電気信号に変換して数値化することができますので,音源のパワーがわかれば振動量を測定することで音源までの距離が推定できるのです.音源が1つしかない場合は1次元的な距離しか推定できませんが,3つ以上あれば3次元空間における位置検出が原理的には可能となります.ただし,ここでいう位置検出とは音源に対する相対位置を表しますので,音源の絶対位置はあらかじめ与えられなければなりません.しかし,スピーカなどは一度設置したら頻繁に動かすものではありませんので,部屋のどこにあるかは既知の事実とすることができるでしょう.

実際にこのような測定をしてみると,壁や地面の反射,さらには他の音波との干渉などによって安定した結果が得られないかもしれませんが,音源パワーを小さくしたり,体育館のように十分大きな空間で実験を行うと,それなりに結果が出るものです.音源のパワーと距離の関係は音響工学などの教科書に詳しく出ていますので,参考にして頂ければと思います.

当たり前の現象にもかかわらず,それが応用されていないとうことはよくあります.応用方法に気づかない場合もあるかもしれませんが,ほとんどの場合何かが問題で実用化されていないことが多いです.そのような問題点を科学的・技術的に理解し,その解決策を考えるというアプローチができる人は研究者に向いているかもしれません.

2010年6月12日土曜日

携帯電話世代の生活

私が大学生だった頃,携帯電話なんてありませんでしたし,大学の研究室でさえインターネットに接続されたコンピュータは1台もありませんでした.それほど昔の事ではないと思っているのですが,どのように日々の生活を送っていたのか思い出せないのが不思議です.友人と連絡を取るためには自宅の固定電話に電話をしていたのだと思いますが,よく覚えていません.また,旅行に行く時はどのように目的地を決め,どのようにホテルを予約し,そして,どのように目的地まで間違えずにたどり着いたのか謎です.おそらく,当時はガイドブックを買ったり,旅行代理店を訪問したのだと思うのですが,不思議なくらいその記憶がありません.

大学卒業までインターネットと携帯電話に触れたことがない私ですらこのような状況ですので,生まれた時には既にこれらが存在する環境で育った世代の人達は,私達の学生時代の生活など見当もつかないことでしょう.

では,携帯電話はコミュニケーション文化をどのように変えてきたのでしょうか?ここでいうコミュニケーションとは人と人とのコミュニケーションのあり方を指します.携帯電話はあくまでも電話ですが,ほとんどの場合個人を特定できる通信手段ですので,電話がかかってきた時に「もしもし○○です」とか,電話をかけた人が「もしもし○○ですが,○○さんですか?」などと言う必要がなくなりました.つまり,「電話がつながった=目的の相手と話せる」という方程式が成り立つのです.これは大きな変化ですね.同様のことが電子メールにもいえます.

これからわかることは,携帯電話は自分を名乗るという行為を必要としないコミュニケーション文化を作りだしたということができます.しかし,これがいつでも通用するというわけではありません.学生からの電子メール本文には,誰宛か(to)本文に書かれていないものが多く見られますし,誰から(from)かということも書いていない場合もあります.学生の場合は学籍番号を電子メールアドレスに使っている場合がほとんどなので調べればわかりますが,携帯電話の電子メールで送信者のアドレスが意味不明である場合にはコミュニケーション自体が成立しません.

このように,携帯電話世代のコミュニケーション文化では,わざわざ名乗らなくても相手が誰であるかお互いにわかっている,というのが大きな特徴です.友達どうしや家族間のコミュニケーションであれば携帯電話のアドレス帳にお互いの情報が存在していて,本文にfromとtoの情報がなくても自動的に表示してくれますが,それ以外の場合はコミュニケーション不可となります.この文化が悪いというつもりはありませんが,せめてコミュニケーションが成立するよい方法はないでしょうか?一番簡単なのは,誰だかはっきりとわかる電子メールアドレスを利用することです.現在は日本語を用いることができませんが,例えば,「佐藤良介@中島研究室.情報通信工学科.理工学部.天地大学.日本」などであれば簡単に誰だかわかります.会社や大学などの組織は階層化されているのでこのようなアドレス構成が可能ですが,英単語でしかも短縮されていたりするとすべてを予想することはできません.もちろん,日本語は他国では通用しませんが,せめて日本人どうしのやり取りではどこかでこのような名前に変換してくれてもよいのでは・・・.と,つまらないことを考えてしまいました.

2010年6月11日金曜日

30年後の科学技術

今から30年後の未来,科学技術はどのような幸せを私達にもたらすのでしょうか?

2010年6月10日,文部科学省の科学技術政策研究所は,様々な分野における未来予測を発表しました.これらの予測は大学の教員や企業の技術者からのアンケートを通して検討されたもので,5年毎に調査が行われているそうです.

本調査によると,2030年に血管の中を移動できるマイクロセンサによる医療技術,テレビや本の感想を語り合える知能ロボットの開発が,また,2031年に地球周回軌道の宇宙観光旅行が実現されるそうです.さらに,2033年にiPS細胞で作った人工臓器が,2040年に有人月面基地が実現されるとのことです.

どうやってここまで細かい実現時期を予測したのかはわかりませんが,こんなに時間をかけなければならないという結果には唖然としました.時期の予想に関しては科学技術の進歩だけではなく,経済状況も加味されているなら納得しますが,そうでなければもっと早く実現しそうに思えます.

もっと身近なところでは,2025年に1回の充電で電気自動車が約500km走れる高性能電池が実現できるとありました.しかし,電気自動車のベンチャーであるアメリカのテスラ・モーターズは,昨年オーストラリアで1回の充電で500km以上の走行を成し遂げています.いったいどういう予想をしているのか疑わしいものです.

いずれにしても,科学技術の発展によって私達の生活が裕福になるのであればそれに越したことはありません.30年かかるといわれていることが3年で実現されるというサプライズがあってもいいですね.

2010年6月10日木曜日

3Dディスプレイの将来

2010年は3Dディスプレイ元年ともいわれるように,各社3Dテレビの製品発表会が頻繁に行われています.そのなかでも,2010年6月9日に発表になったパナソニックの3Dディスプレイはとんでもない化け物です!なんと,世界最大152型フルハイビジョンディスプレイなのです.高さ180cm,幅340cmというからびっくり.152インチディスプレイの幅が340cmといわれても,これ自体想像できる人はあまりいないでしょう.50インチのテレビ画面で考えると,それが9画面集まった大きさです.そんな大きいのが家の中に運び込めるのでしょうか?そして,どのような人が買うのでしょうか?このディスプレイは7月1日から「受注」生産し,価格は5000万円以上だそうです.

最近,40インチ以上の大型液晶テレビが飛ぶように売れており,家電量販店に行くと1年前に比べるとラインナップが明らかにインチアップしています.それもそのはず,52インチの液晶テレビが15万円ほどで買える世の中になったのですから,家が少々小さくても大きい方を買ってしまうのでしょう.そのようなテレビの陳列にまぎれて,3Dディスプレイも何台か置いてあり,専用メガネを用いて3D映像の体験ができるような店も増えました.私も近所の家電量販店で3D映像を見てみました.確かに凄かったです.しかし,ふと,デジャヴュかと思ってしまいました.いや,デジャヴュなんかではなく何十年も前にこのようなメガネをかけて立体映像を見ていました.左右2つのカメラで撮影された映像を合成することによって立体的に映し出す技術はかなり昔から存在していました.その映像を専用メガネで合成して人間の脳には3D映像が映し出されるのです.そう,ディズニーランドにはこのようなアトラクションが何十年も前からありましたね.そう思った瞬間,急に熱が冷めてしまい,専用メガネをはずすとピンボケの映像がディスプレイに.これもまた,ディズニーランドで体験したものと同じです.

ここでお話したいポイントは2つです.ひとつ目は専用メガネをしていない人がこの映像を見ても,ピンボケ映像が見えるだけで全く面白くありませんし,メガネをすること自体鬱陶しいです.ふたつ目はこのような立体映像のコンテンツがテレビ局から放送されないと3Dテレビの価値がないということです.現在,一部のBS放送やケーブルテレビの有料チャネルで3Dコンテンツの配信が始まっていますが,ほとんど存在しないといって間違いないでしょう.

このような状況を考えると,3Dコンテンツはテレビ向けではなくインターネットコンテンツ向けではないかと考えてしまします.現状では3Dコンテンツを作るだけで2Dと比べると余分なコストがかかるわけですから,すぐには無料コンテンツにはならないでしょう.つまり,オンデマンド配信を利用したインターネットコンテンツとしてサービスを始める方が自然です.オンデマンド配信であれば,ユーザは通常のテレビ放送とは異なることを理解していますので,少額であれば有料であっても視聴するでしょうし,専用メガネの装着もその時に限るのであれば我慢できると思います.近い将来,GoogleTVなどでテレビコンテンツがすべてオンデマンドになった場合,通常のテレビ放送という概念が無くなってしまいますので,その時は専用メガネの装着は耐えられなくなるでしょう.しかし,その頃には,専用メガネを使わなくとも3D映像を見ることができるディスプレイが開発されているかもしれません.

2010年6月9日水曜日

iPhone4の隠れた凄さ

2010年6月8日,米アップル社の最高経営責任者であるスティーブ・ジョブズが,サンフランシスコで開催されたWWDC(Worldwide Developer Conference)で新型iPhoneの発表を行いました.6月24日から発売を開始するそうです.新型iPheneは「iPhone 4G」とか「iPhone HD」という名前で噂されていましたが,「iPhone4」という名前になりました.これに関しては正直ホッとしました.4Gというと携帯電話の第4世代と混乱しそうですし,ディスプレイもハイビジョン映像に適した画素数が無いのにHDという名前が付いていたので違和感がありました.とはいえ,画面の画素数は縦,横それぞれが2倍,つまり,総画素数は4倍にもなったため,高画質映像を表示できることには違いありません.

iPhone4についての情報がインターネット上のあちこちで見られ,その新しい機能を絶賛しています.先に述べた高解像度の画面,24%も薄くなった厚み,高性能プロセッサ,長寿命バッテリ,ジャイロスコープ,高解像度カメラとLEDフラッシュ,デジタルズームなど,現行モデルの「iPhene3GS」と比べると明らかに高性能かつ多機能になりました.ここまでは多くのニュースで語られている話ですが,これ以外に目立ちはしませんが重要な新機能が加わっています.それは,HSUPAという通信方式に対応したことです.HSUPAはHigh Speed Uplink Packet Accessの略で,HSDPA(High Speed Downlink Packet Access)と合わせてHSPAと呼ばれており,3.5Gの携帯電話通信方式として注目されています.HSDPAは下りの回線,すなわち,基地局から携帯電話方向への通信速度を高速化するもので,ストリーミングサービスなど容量の大きなコンテンツの再生に適しています.iPhone3GSはこのHSDPAには対応していましたが,上り回線,すなわち,携帯電話から基地局への通信速度を高速化するHSUPAには対応していませんでした.それが今回のiPhone4で対応するようになったのです.これこそがiPhoneなどスマートフォンにとってキーとなる技術ではないかと考えています.

では,なぜHSUPAが重要なのでしょうか?上り回線の高速化は個人ユーザによるストリーミング配信サービスを可能とします.ストリーミング配信サービスとしてUstreamが有名ですが,スマートフォンに「Ustream Live Broadcaster」という無料アプリケーションをインストールすれば,Ustreamのインフラを利用して個人ユーザが簡単に,いつでもどこでもストリーミング配信サービスを行うことができるようになります.例えば,野外スポーツ競技の生中継,出張先からのリモート授業,さらには,国会中継さえも可能となります.これまでは上り回線があまり高速でなかったためにiPhoneからのライブ映像配信はぎこちないものでしたが,HSUPAに対応したことでかなり高品質なものになると思われます.近いうちに,数えられないほどのライブ映像配信サイトがインターネット上に現れることでしょう.もしかすると,これがTwitterの動画版という形で発展するかもしれませんよ.楽しみにしましょう.

2010年6月8日火曜日

アレルギーからの解放近し

種類は様々ですが,アレルギーに悩まされている人は数え切れないほどいます.目に見える皮膚の炎症や痒み,本当にたまりませんね.そのようなアレルギー体質の人には朗報です.2010年6月6日発行の専門誌,ネイチャー・イムノロジー(Nature Immunology)に筑波大学大学院の渋谷彰教授らのグループが素晴らしい研究成果を発表しました.なんと,花粉症,喘息,アトピー性皮膚炎など,すべてのアレルギーの発症を抑制するタンパク質(「アラジン1」と命名)を発見したそうです.

アレルギー疾患を持ったことがある人は,「抗ヒスタミン薬」という言葉を聞いたことがあるでしょう.アレルギーの元となる抗原が人間の体内に入ると,ヒスタミンなどの化学物質が多く放出され,それが化学反応を起こすことで炎症などの症状が出ます.ヒスタミンの化学反応を抑制するのが抗ヒスタミン薬ですが,この薬だけでは完全には化学反応を抑えられません.渋谷教授らはヒスタミン等の化学反応を抑制する薬の開発ではなく,化学物質の放出自体を抑制するという方法をとり,それを可能とするタンパク質を発見したのです.アレルギーを引き起こす化学物質の放出を抑制することができれば,その化学反応によって引き起こされるアレルギー反応を根本的に抑制できるということです.すべては元を断たなければならないという,基本に戻ったアプローチが功を奏したのです.

ここで面白いと思ったことは,このニュースの報道のされ方です.朝日新聞社のホームページサイト(asahi.com)では,「すべてのアレルギー疾患の発症を阻止できる」という表現を用いていました.「すべての」という言葉を使う以上は本当に「すべて」を意味するのでしょう.しかし,どうやってすべてのアレルギー疾患を調べたのでしょうか?本当にすべてのアレルギー疾患を調べることができるものなのでしょうか?とても気になったので,他のサイトも見てみました.読売新聞社のホームページサイト(YOMIURI ONLINE)では,「さまざまなアレルギー反応を抑え込むたんぱく質・・・」,「ほとんどのアレルギー反応を根本から抑えられる・・・」という表現を,毎日新聞社のホームページサイト(毎日jp)では,「さまざまなアレルギーに共通する薬の開発につながる・・・」という表現を,それぞれ用いていました.実際にはどうなのかと,ネイチャー・イムノロジーのサイトをチェックしてみると,この論文のアブストラクト(概要)が掲載されていました.読んでみるとこの疑問に対する答えとなる表現は書かれていませんでした.本文を見るためには課金されるようでしたので諦めました.

どれが正解かはわかりませんでしたが,この発明によって大変多くの人がアレルギーから救われると思うと,「すべてのアレルギー疾患の発症を阻止できる」,であることを祈ります.

2010年6月7日月曜日

予期せぬ発見

ある書類を探していると,以前に探してもなかなか見つからなかったも別の物が偶然見つかったという経験談を良く耳にします.このような発見をセレンディピティといいます.別の例ですが,アメリカで潜水艦の機関音を捉える実験をしていたところ,明らかに潜水艦からではない規則的な音が聞こえてきました.それについて詳しく調査してみると,その音源はイルカでした.この実験の最中にイルカの交信が潜水艦の機関音と同じ周波数であることを発見したのです.

セレンディピティは「棚からぼた餅」のような物語に聞こえるかもしれません.しかし,良いことばかりとは限りません.例えば,メールボックスに溢れんばかりに溜まった電子メールを整理していると,ある重要な〆切が昨日であったことを知るメールに遭遇し,真っ青になることもあります.

良いことであれ,悪いことであれ,セレンディピティを経験しやすい人と経験しにくい人がいるようです.経験しにくい人は,目の前にある情報に気付かない鈍感な人なのかもしれません.では,どちらの方が幸せでしょうか?欲張りな人は,良いことも悪いこともセレンディピティを受け入れ,「知らぬが仏」タイプの人は興味もないかもしれません.私は現実をすべて受け止めたいので悪い発見も含めセレンディピティを歓迎します.というのも,自分にとって関係がある情報が,自分の意思とは別に向こうから飛び込んでくるなんて,この上もない素晴らしい現象だと感じるからです.ここで,「現象」という言葉を用いました.セレンディピティは「現象」と捉えるのが理解しやすいと思います.

では,この現象を起こりやすくすることは可能でしょうか?先に述べましたが,鈍感な人には起こりにくく,常にアンテナの感度を高めて生活している人には起こる確率が高いと思います.期限の切れた仕事を偶然に発見してしまうのは最悪ですが,今,やっていることとはまったく関係のない発見に出会い,それによって新しい人生が開ける可能性があることを想像するとワクワクしてきます.予期せぬ発見,これを制御できるようになったら予知能力を持つことになるのかもしれませんね.

2010年6月6日日曜日

勉強と研究の違い

「研究が好きだ」という人は多いですが,「勉強が好きだ」と他人の前で堂々と言える人は少ないのではないでしょうか?おそらく,「勉強」というと学校で習う科目をイメージして,それが好きだと言うとガリ勉と思われるのではないか,自分の評判を落とすのではないかと考え,恐れて口に出せなくなるのでしょう.では,勉強と研究との違いは何でしょうか?

「卒業研究で今何やっているの?」と聞かれて,「プログラミングの勉強をしている」と答える人は勘違いしています.研究とは,未知のことを解明するためにアイデアを練ったり,新しい発見や発明のため思考することであると言えます.一方,勉強とは知識の習得ですので,既に存在しているが自分が知らないことを学ぶことです.したがって,プログラミングができるように勉強するのは研究ではなく,既に存在していることを自分の知識として学んでいることです.

日本の学校教育では,勉強する=学校のテストの点をよくする=よい進学,というような方程式が出来上がっていて,学校の成績が良くなるような行為を勉強と捉えてしまいます.ここが問題です.しかし,社会に出てみると,対人関係が勉強になったとか,人生が勉強だとか,経験そのものを勉強と考えるようになります.経験もそれまで知らなかったことを体験することで得る知識ですので,まさしく勉強です.そう考えると,勉強が好きであると口にするのは素晴らしいことです.しかし,「いろいろな経験が役に立つ」とか,「いい経験をした」と言うことはあっても,「経験が好きです」とは言わないところが面白いですね.

研究とは,ある目標に向かって自主的,積極的に働きかけて行う行為であるのに対して,勉強は受動的にやったりやらされたり,いつの間にかやっていたり,もちろん,積極的に行う場合もあり,幅が広い行為(現象?)です.それゆえ,「人生は勉強」という言葉があるのでしょう.「人生が研究」というと,なんだか恐いですね.

2010年6月5日土曜日

高等教育で学ぶこと

学校教育は大きく分けて,初等教育,中等教育,そして,高等教育の3つに分類されます.それぞれ,幼稚園・小学校,中学校・高等学校,そして,大学・大学院にて行われる教育と考えるとわかりやすいと思います.今回は,このうち高等教育に焦点を当ててみたいと思います.

文部科学省の学校基本調査によると,大学,大学院修士課程,大学院博士課程,大学院専門職学位課程,短期大学,高等専門学校が高等教育機関とされています.これらすべての機関についてお話することはできないため,大学,大学院修士課程,大学院博士課程の3つにおいて身につけるべき能力を考えてみます.

まず,大学に関してですが,通常学生は専門性の高い学部・学科に属し,卒業論文あるいは卒業研究を完成させます.大学の低学年までは,研究のための教育がほとんど行われていないのが現状です.通常,学生は卒業最終年度に指導教員の研究室やゼミに配属され,その教員のアドバイスを受けながら卒業論文や卒業研究を完成させます.ここで重要なことは,研究のプロセスを身につけることと,論文という活字体による成果物を制作することです.研究のプロセスは分野によって差がありますが,工学系の場合は現状で何が問題なのかを理解するとともに,それを解決するための提案を行い,定性的,あるいは,定量的な評価によってその提案の有効性を論じます.理学系の場合は,未だよくわかっていない現象をどこまで解明できたかという点が評価に値します.先にも述べましたが,大学ではこれらのステップを教員の指導に基づいて完成させる能力を身につけることが要求されます.

大学院修士課程では,何か問題にぶち当たった時にそれを独力で解決する能力が要求されます.つまり,研究課題において解決すべき問題をどのように対処すべきか提案し,その提案の有効性を検証するためにどのような評価を行ったらよいかを考え,独力で結果を出すことが必要です.大学卒業に要求される能力より高度であることがおわかりでしょう.

大学院博士課程では,その名の通り博士の学位を取得することが目標となるわけですから,人並ならぬ努力が必要です.大学院修士課程との大きな違いは,自ら研究課題を設定する能力が要求されることです.与えられた課題について取り組み,問題を解決するだけでは博士の学位は取れません.どのような研究が世界のどこでも達成されておらず,そして,それを達成させることの学術的意義をしっかり認識したうえで研究課題を設定できなければなりません.また,学会論文誌などいわゆる査読を必要とされる論文投稿を行い,厳格な審査の結果その論文が採択されることも必要です.すなわち,新規性と有効性の高い提案と,査読者を納得させるだけの論理展開と文章能力も要求されます.

このように考えると,高等教育と言ってもそこには様々な段階が存在します.大学院博士課程で要求される能力は確かに特殊性・専門性が強いので,必ずしも一般の社会生活において必要とされないかもしれません.しかし,人を納得させるための論理展開能力とプレゼンテーション能力は会社で働く人にとってはとても重要です.多かれ少なかれ,人間は社会生活をしていれば様々な問題に遭遇し,何とかそれを解決していきます.そして,自分と異なる意見を持つ人と仕事をする必要がある場合は説得するためのノウハウも身につけていきます.つまり,大学院教育で必要とされる能力ですら,ほとんどの人が人生経験において身についていくものなのです.では,わざわざ大学院という教育機関があるのは何故でしょう?それは,専門性の高い分野に特化することでシステマティックに短期間で効率的にそれらの能力を身につけるためです.すなわち,そのような能力が既に身についている人は会社に入ってからあえて指導する必要もありませんので,会社としては余分なコストを書けなくて済みます.理工系大学院修了者の就職が良好なのも納得がいきますね.著しく専門性が高い分野を除き,どのような学問を専攻したかではなく,受けた教育課程において要求される能力がしっかりと身についているかどうかが最も重要なことです.

2010年6月4日金曜日

商品広告への有名人起用

テレビや雑誌で商品の宣伝をする際,通常,芸能人など多くのファンがいる有名人を起用します.なぜなら,自分の好きな人が宣伝する商品を購入することで,その有名人と気持ちを共有できるという心理的な効果を期待するからです.もちろん,その有名人は出演料をもらうというビジネスを行っており,その商品を本当に好きかどうかは知る由もありません.

商品広告に対するこの手法は,特にうさんくさい商品に対してはとりわけ有効でしょう.しかし,明らかに売れると思われる商品にも,ダメ押しというくらい多額の予算をかけて制作したと思われる広告が多いのは事実です.しかし,本当にそのような手法を使わないと商品は売れないのでしょうか?まさに今,大ブームを巻き起こしているアップル社のiPadの宣伝を思い出してみてください.テレビのCMでも盛んに出て来ますね.あれだけ有名な商品なので,きっと多額の広告費を使っているのではと思われますが,実は有名人は誰ひとり出演していません.「えっ,そうなの?そういえば・・・」,などの声が聞こえてきます.iPhoneやiPodのCMを思い出しても,有名人は出ていなかったのではないでしょうか?アップル社の商品のCMは,商品を前面に出し,それを使う人の姿は表に出てきていません.印象に残る音楽は使っているかもしれませんが,モデルという人件費にはお金をかけていません.そこが凄いところです.さらに感心することは,テレビのCMに出てきた時は既にその商品の存在を一般消費者は十分知っているということです.インターネット時代では,海外商品の情報もメディアがいち早くキャッチし,ホームページ,ブログ,ニュース,メールマガジンなどで紹介されますので当然といえば当然ですが,それは他社の商品も同じことです.

では,アップル社の場合は何が違うのでしょうか?それは,アップル社の最高経営責任者であるスティーブ・ジョブス氏の哲学にあると思います.ジョブズ氏は,みんなが「ワクワク」するような商品,というコンセプトを重要視しており,そのデザイン,性能,そして,操作性に至るまで決して手を抜かず,納得のいくまでその仕様にこだわります.その哲学が商品自体に生気を吹き込み,人々を魅了するのです.結果として,発売前から新商品の噂や憶測が話題となり,それを伝えるメディア自体が既に広告と化しています.そのようになってしまえば,もはや有名人を投入する広告は必要ありません.

技術者にとって,アップル社のような商品を世に出す仕事は大きなやりがいにつながります.その社員の気持ちがさらによい発想,よい技術を生み,それらの好循環が爆発的なヒットを生んできたのは言うまでもありません.今年の5月には,アップル社はマイクロソフト社の時価総額を追い抜いたというニュースが流れました.時価総額とは,株単価に発行済株式数を乗じたもので,企業規模を示す指標として使われます.今のアップル社にとっては有名人をモデルに使う広告費など,あまり大きな支出とは考えないのかもしれませんが,商品そのものの価値だけでこれだけの売上を達成したという事実は歴史に残る大成功ということができるでしょう.技術立国といわれてきた日本においても,商品自体で勝負できるような発想と技術の向上を祈るばかりです.

2010年6月3日木曜日

昔のコンピュータもすごい!

コンピュータというと,電子メールの送受信,ホームページの閲覧,映像や音声の再生などができるパソコンを示すのが一般的になっていますが,もともとは計算機であることは言うまでもないでしょう.計算機のはじまりを突き詰めていくと紀元前にまで遡ります.今から3000年以上も前,バビロニアに計算機の基本となるものが存在しました.バビロニアは地理的にはメソポタミア南部地域で,現イラクがある場所です.当時,地面に描いた線を跨いで小石を移動させることで簡単な計算を行っていました.英語で「計算法」のことをcalculusといいますが,その語源はラテン語のcalculiで,「小石」を表すことからもその歴史がうかがえます.この計算法は「アバカス(今のそろばん)」として発展し,中国経由で室町時代に日本へ入ってきました.アバカスは使い方によってはかなり複雑な計算を行うことも可能で,工学や天文学の計算にも使われていました.

アバカスが数百年間利用された後,16世紀にスコットランドのジョン・ネーピアが「ネーピアの骨(棒)」を考案しました.ネーピアの骨は複数の数字が書かれた棒で,それらを並べることによって,乗除算,平方根,立方根などの計算を行うことができました.まさにマジックスティックとよぶに相応しい計算機です.ネーピアは対数法の創始者としても有名です.それもそのはず,対数の乗算および除算は,加算および減算として計算できることを利用して,複雑な計算を実現していたのですから.本当に天才ですね.

ネーピアの骨のアイデアは,その後1600年代にイギリスのウィリアム・オートレッドによって計算尺として継承されました.計算尺はその計算内容によって種類が違いますが,関数計算も可能であり,電卓が開発されるまで科学計算などに長い間使われ続けました.

このように考えると,現代科学のほとんどの技術が電気を使わない計算機によって生み出されてきたことがわかるでしょう.もちろん,計算速度や有効桁数に関しては電子計算機に勝てませんが,ほとんどの計算は電気を用いなくても結果を出せるのです.

最近のパソコンでは,MicrosoftのExcelなど,スプレッドシートと呼ばれる表に値を入力するだけで,人間が計算という行為をほとんど行わなくても計算結果が正しく出力されます.このようなツールばかり利用していると,計算の原理を理解する必要がなくなってしまいますので,新たな計算法の創出は難しいかもしれません.今一度,そろばんや計算尺に戻って計算法の仕組みを振り返ってみると,電子計算機時代には考えつかないような新しい発想が出てくるかもしれません.

2010年6月2日水曜日

母音は言語で異なる

日本語は,「あ」,「い」,「う」,「え」,「お」,という5つの母音と,その他の子音の組み合わせによって発音されています.小さい頃から50音表というものを見せられ,それに基づいてひらがなを学んできた私たちは,その表の構成から母音,子音という概念を違和感なく理解し,そして,受け入れてきました.

音声を,マイクロフォンを通して電気信号という形で見ると様々な形の波形で構成されているのがわかります.このような波形を音声スペクトルといいます.母音はその音声スペクトルに面白い特徴があります.例えば,「え」という母音の音声スペクトルは,700Hzあたりと2,200Hzあたりに集中した波形が観測されます.これらの特徴的な周波数をフォルマントとよびます.フォルマントは母音発生時の口の形状によって生成される音声の周波数成分ということができ,母音の種類によってその周波数成分が異なります.逆に言うと,音声スペクトルからフォルマントの周波数成分を観察することによって,どの母音が発生されたかがわかるのです.ちなみに,子音には明確なフォルマントはありません.

フォルマントは周波数の低い順に,第1,第2,・・・,第nフォルマントとよびます.それぞれの母音に対して複数個のフォルマントがあるのが普通です.日本語の母音は上に述べたように5つの種類がありますが,他の言語ではどうなのでしょうか?韓国語を調べてみると,基本母音は10種類あり,さらに,二重母音とよばれるものが11種類ありました.母音は言語によって異なるのです.そう考えると,外国語の発音を習得するのに時間がかかるのも理解できます.ですので,完璧な発音など初めからあまり意識せず,とにかくコミュニケーションできる言葉を発生するということに重点を置いて,外国語を勉強したいものです.

2010年6月1日火曜日

21世紀はこんなはずじゃなかった

決して今の世の中を悲観しているわけではありません.私が小学生の頃に思い描いていた21世紀の世界をふと思い出したので,それについてお話したいと思います.

今から30年以上前になります.当時はスーパーカー・ブームというのがあり,フェラーリ,ランボルギーニ,ポルシェなど,ヨーロッパのスポーツカーを中心とする車の展示会があちこちで開催されていました.また,何気なく喫茶店の前に何千万円もする車が,いかにも「かっこいいだろ!」,とでも主張しているかのごとく,ドーンと駐車していることもあり,すかさずカメラを取りに家まで急いで帰ったものです.おそらくその時代は,所有する車の値段で富裕度を表す風潮があったのでしょう.交通手段として飛行機もありましたが,一般の人が乗る機会はほとんどなく,空を飛ぶこと自体夢のような世界でした.

そのような時代に21世紀の世の中を予想して描かれた絵がいくつかあり,それらには共通点がありました.それは,透明なチューブでできた道(のようなもの)が空中に何本も浮いており,その中を車のような乗り物が滑り台のように滑りながら動いている光景です.なぜ,このようなイメージが出来上がったのかはわかりませんが,空を飛ぶ飛行機が個人レベルで持つことができるようになり,空中を自由に行き来できるような乗り物が未来の交通手段になっていたのです.まさにSF映画の世界ですね.面白いのは,ジェットエンジンを搭載した小型飛行機ではなく,実際には空を飛ばないチューブの中を走る車のようなものです.おそらく,当時でも個人レベルで空中を自由に飛びまわれる乗り物は,さすがに無理だと考えていたのでしょう.

実際にそれから年月が経ち10年ほど前に21世紀を迎えました.しかしながら,車,自転車,高速道路,デパート,高層ビルディング,新幹線など,私が小学生の時に過ごした街並みとほとんど変わっていません.当時,携帯電話はありませんでしたが,子供はトランシーバを持ち歩いて無線ごっこをしていましたし,つい最近までよく目にしたタクシー無線などもそのままの状態でした.そう考えると,30年程度では世の中の「風景」はあまり変化しないのだなあ,と「痛感」しました.

これが,「21世紀はこんなはずじゃなかった」と思った理由です.国際宇宙ステーションが建設されて,21世紀では宇宙飛行士が頻繁に宇宙に行くようになりましたが,よく考えてみると40年以上前には有人月面着陸を成し遂げています.しかし,今では地球の表面にへばり付いたくらいの距離である宇宙ステーションへ行くのが最高の宇宙旅行となっています.普通に考えると,21世紀は人類が火星に到着していてもおかしくないでしょう.

このように考えると,100年後の世の中も今とあまり変わっていないのではないかと感じてしまいます.せめて普通の人々が月で生活できるくらいにはなっていてほしいと思います.私自身がそれを見届けるのは無理だと思いますが.ん!?,もし,無理でなければそれはそれで大きな変化です!

2010年5月31日月曜日

Skype on 3G

電話回線ではなく,インターネットを利用した音声通信サービスをVoIP(Voice over IP)と呼びます.日本のインターネット・サービスプロバイダでは,「050-」で始まる電話番号を割り当ててVoIPサービスを提供しているところもあります.この場合,家庭内やオフィス内のブロードバンドルータ[1]にVoIPアダプタという機器を接続(または内蔵)することによって,通常の電話機をそのまま使うこともできます.ただし,電話回線に接続された電話端末と通話を行うためには,途中でインターネットと電話回線を中継するゲートウェイというものを介して行います.インターネット内に閉じた電話端末どうしの通話であれば通常無料ですし,電話回線に接続された電話端末との通話でも格安です.「050-」で始まる番号ではなく,通常の電話番号をそのまま使用できるVoIPサービスが電話会社やCATV会社によって提供されていますが,その場合は電話回線に比べると割安感があるという程度で,無料とまではいかないようです.

電話番号を割り当てたインターネット上の音声通話サービスだけがVoIPではありません.例えば,SkypeやWindows Live メッセンジャーなど,登録されたユーザどうしが特定のソフトウェアを用いて音声通話サービスを行うのも,広義のVoIPです.例えば,スマートフォンにSkypeアプリケーションをインストールして,家庭内の無線LAN経由で音声通話を行えば,無料通話が実現できます.実際,私もiPhoneを用いてこの方式で海外の方と無料通話をよくします.しかし,一歩外に出て無線LANに接続できない環境,すなわち,3G回線を用いた環境では,Skypeは利用できませんでした.ところが,つい最近これが可能となったのです.iPhone向け公式アプリ「Skype2.0」は3G回線でも利用できるので,スマートフォンのパケット定額制プランに加入している人であれば,外出中でも無料で通話ができるようになったのです.ただし,「携帯ネットワーク回線経由のSkype同士の発着信は,少なくとも2010年8月まで無料」とあるので,その後は有料になる可能性があるわけですが.たとえそうであったとしても,この試みは歓迎されるものですし,有料になったとしてもべらぼうに高い使用料になるとは思えません.おそらく,月数百円くらいの定額制料金になるのではないかと思います.

ここまでは,料金の話でしたが,すこし技術的なことを考えてみましょう.もともと電話回線をベースにパケット通信を行い,インターネット接続を実現してきたわけですが,そのインターネット接続を用いてさらに電話サービスを行うという,何とも不思議な構造になっています.これなら初めから電話回線などやめてしまい,音声通話サービスはデータ通信サービスのひとつのアプリケーションという位置づけにしてしまったほうがすっきりします.ただし,その場合モバイルWiMAX[2]などのサービスとの差別化を行うのが難しくなってきますが.このように考えると,携帯電話網と呼ぶインフラは消滅し,携帯電話は単なる移動体通信回線を用いた音声サービスという概念になっていくことでしょう.「携帯電話」という語も死語となる日が近いかもしれませんね.

用語の説明:
[1] ブロードバンドルータ: 家庭内やオフィスのネットワークとインターネットを接続するネットワーク機器.
[2] モバイルWiMAX: 移動体通信を想定した高速無線ネットワークシステムのひとつ.携帯電話システムのように,無線基地局と電波が通じるエリアで利用可能.

2010年5月30日日曜日

パスワードがIT社会をぶち壊す

IT社会の発展に伴って,数多くのパスワード管理にうんざりしている人も多いのではないかと思います.コンピュータがインターネットに接続される前は,覚えておくべき重要なパスワードはATMの暗証番号4桁くらいでした.今では,ネットワークに接続して利用するサービスのほとんどすべてに,ユーザIDとパスワード入力が必要とされています.覚えるのが面倒なので同じIDやパスワードを使おうとしても,システムによって使える文字列の種類が限定されていたり,使える文字列の長さが異なっていたり,なかなかうまくいかないものです.何回も入力することによって何とか覚えられたパスワードも,ある一定の期間が過ぎると変更しなければならないこともあり,パスワード問題はどんどん複雑化していきます.

この対策として,生体情報を用いた認証システムに期待が寄せられていました.生体情報のうち,指紋や瞳の虹彩,また,静脈パターンなどを用いたものが実用化されていますが,あらかじめそれらの情報を登録するための手間がかかりますし,人間の体が変化しないとも限りませんので永遠に利用できる保証がありません.さらに悪いことに,実際の運用においては生体情報単体で認証を行うというよりも,ICチップやパスワードと組み合わせて更なるセキュリティを高めるために用いられ,根本的な解決策になっていません.

このように,認証を必要とするシステムは増加する一方であり,近い将来あらゆるパスワードを紙に書いて持ち歩いたり,携帯電話にメモとして書き留めたりしない限り,実用上認証システムは崩壊してしまうような気がしてなりません.もちろん,このような方法ではセキュリティ上全く意味をなさないのはおわかりでしょう.では,どうしたらこの問題を解決できるのでしょうか?「認証なんかやめてしまえばいい!」,という考え方もありますが,物の価値をお金で判断する経済が続く限り,個人の富を守る必要があり,難しいです.

原点に戻って考えると,パスワードは記憶するのが難しい文字の羅列ではなく,人間がこれまで生きてきて自然に身につけてきた情報が一番なのではないかと思います.例えば,家族の誰かの名前や卒業した幼稚園名,小学校名,さらには,小学校3年生の時の担任の名前など,考えればいくらでも出て来ます.そのような情報は,現在,パスワードを忘れたときに本人であることを確かめるために二次的に使われることがありますが,そのような二次的使用ではなく,本認証そのものに用いるべきです.そして,どの情報で認証するかもユーザが自ら入力することができるようなインタフェースを整備し,その情報自体もいつでも変更できるようにすれば,パスワード問題は解決できます.重要なのはパスワードの長さや短期間で変更することではなく,入力インタフェースではないでしょうか?

2010年5月29日土曜日

宇宙空間での実験

昨日,JAXA筑波宇宙センターに行ってきました.JAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)は2003年10月に宇宙科学研究所,航空宇宙技術研究所,宇宙開発事業団の3機関が統合してできた組織です.筑波宇宙センターはこのうち宇宙開発事業団の施設を受け継いだもので,国際宇宙ステーションの「きぼう」日本実験棟においてミッションを遂行する宇宙飛行士の訓練場所でもあります.一般の見学では訪問できない研究室にもお邪魔することができ,大変勉強になりました.

宇宙空間において研究を行う理由として,大気や重力が無い場所での物質や生命の振る舞いを明らかにするということが挙げられます.特に面白そうな研究として,無重力状態での燃焼というものがありました.通常私たちが地上で見るろうそくの炎は,上部が比較的尖っていて下部が緩やかなカーブを描くような形,言い換えると,卵を少し縦方向に引き伸ばしたような形をしています.しかし,重力がほとんど無い場所ではほぼ球の形をしているのです.このような現象を詳しく研究することによって,宇宙空間における燃焼構造および燃え広がり方を解明することにつながります.また,無重力状態での氷の結晶成長という研究も魅力的でした.日常生活では氷の結晶自体あまりお目にかかりませんが,小さい頃雪の結晶を顕微鏡などで観察して,いわゆる雪印マークを楽しんだ方もいることでしょう.そのような結晶は冷却とともに成長していきますが,その成長の仕方が地上と比べてどう違うのかということを解明する研究です.地上では結晶周辺に起こる液体の流れなどがあるため,結晶成長の過程が乱されますが,無重力ではそれが起きませんので精密な結晶成長の観察が可能となります.

この他にも,わくわくするような研究がいろいろありましたが,それらについては機会を見てブログに掲載したいと思います.宇宙開発に関わる予算が莫大なものであるのはご承知の通りですが,宇宙科学研究には欠かせないものです.一大学や一企業だけではとてもできるものではありませんし,一国だけでも難しいかもしれません.基礎科学研究は今すぐに役に立つ応用研究ではありません.しかし,それらの予算を削って目先の研究開発だけを行ってしまうと,将来の応用研究はどんどん先延ばしになってしまし,いざ必要になった時には手遅れという事態も招きかねません.海外への研究者流出を増やさないためにも,中長期的に見て重要な研究課題を正しく判断してもらえる学識者を国家予算審議の中核に据えて欲しいと思います.

2010年5月28日金曜日

ネット選挙解禁

昨日,「ネット選挙解禁与野党合意!」という記事があちこちで見られました.そんなことがいきなり実現するのかと目を疑い,かつ,興味深々に記事の内容を見ると,「何それ?」です.「ネット選挙解禁」と聞けば,誰だってインターネット経由で選挙投票ができることを想像するはずです.参議院選挙を間近に控えたこんな時期に,インフラも整っていないのにどうやってやるのか不思議でした.しかし,やはり期待は裏切られました.単にネット選挙運動解禁ということでした.しかも,とんでもない条件付きです.既にニュースを見た方もいるとは思いますが,少し中身を見てみたいと思います.

今回のネット選挙運動解禁のおもなポイントは,選挙期間中に政党と候補者のホームページやブログの更新を許可することです.しかし,電子メールの利用は見送られます.さらに,ミニブログともいわれるTwitterに関しては自粛ということで折り合いをつけたそうです.選挙期間中でも世の中は待ってくれません.時々刻々問題は起こり,即座に対処しなければならないこともどんどん出て来ます.それに対する,政党や候補者の考え方,対策等の発言を即座にできないというのは,果たして有権者のことを考えた選挙と言えるのでしょうか?1日,2日待ってもよい内容であればホームページやブログの更新程度でもよいでしょう.しかし,緊急事態への対応の速さが要求される政治家は,こういう時の迅速な判断・対応を評価されるべきで,Twitterや電子メールの活用は極めて妥当なもののはずです.正直,この対応は理解に苦しみます.

もうひとつよくわからないのは,Twitterの「自粛」です.自粛というのは禁止ではなく,また,どの程度までを自粛と呼ぶのか不明確です.政治家自身の発言に不明確な表現を用いること自体問題ですね.妥協案のつもりでこのような表現を用いたのかもしれませんが,妥協することと,あいまいな表現を用いることは違います.近々,具体的な運用方針を作成するということですが,どのような文章が出てくるのか目が離せません.新しいことに対して保守的になり過ぎるより,まずは実行してみて問題があれば改善する,というスタンスをとって欲しいものです.

2010年5月27日木曜日

つぶやきと景気の関係

最近Twitterの話題が多いのですが,そのサービス自体の話ではなく,サービスを利用するユーザの気持ちについて考えてみたいと思います.メディアでも取り上げられている通り,Twitterのユーザ数は1億人を突破したとも言われています.全ユーザが必ずネット上につぶやいているとは限りませんが,相当数のユーザがこのサービスに関心を持っているのは事実です.では,Twitterの魅力は何なのでしょうか?サービス自体が140字という制限が,気楽でちょうどよいという感想を持つ人が多いようですが,実際に140字ぎりぎりまでつぶやいている人は極少数で,ほとんどの人は他人の引用(リツイート)を除くと50字もつぶやいていません.もちろん,ブログの投稿に比べると気楽に参加できますが,字数の制限が最大の理由ではなさそうです.

Twitterの利用に関しては,携帯電話との関係を切り離すことはできません.相当数のユーザが携帯電話からつぶやいているからです.携帯電話からつぶやく理由は,通勤通学時の電車やバスの中等,ちょっとした時間を利用できるからでしょう.休憩するために入ったコーヒーショップでのつぶやきも同じような理由かもしれません.それらは,ある意味暇つぶしでもあるでしょう.しかし,面白いことにそのような時間帯につぶやいている人の中には,家に帰ってテレビを見ている最中,入浴中,さらにはベッドの中でさえつぶやいていることもあります.すなわち,暇つぶしではなく,つぶやかずにはいられないようです.すべてのユーザがこのように四六時中つぶやいているわけではありませんが,何らかの魅力があるからつぶやき続けているわけです.それは何なのでしょう?

考えられる理由の一つは,つぶやくことに対する誰かの返信や,リツイートされることを期待しているからでしょう.返信されたりリツイートされると,自分の発言が人の心を動かしたということを実感でき,それによってネット上での自分の存在意義を確かめられるからではないでしょうか?以前,数分おきに電子メールをチェックしないと気が済まない人が大勢いましたが,それも誰かからの返信や自分への何らかの誘い等,自分の存在意義を実感したいからなのではないかと思います.つまり,Twitterの魅力はつぶやくこと自体より,自分に関心を持ってくれたことを実感することにあると考えられます.

現在の社会においては,ただ単に与えられた仕事をこなすだけでは,雇い主からその人の必要性を感じてもらえません.かといって,いきなり自分のアイデアや能力をアピールできるようになるわけでもありません.そのようなときに,ネット上で何気なく自分の発言に興味を持ってくれる人を実感できるというのは,この上もない喜びなのかもしれません.人と人とが顔を合わせる実社会空間で,自分が必要とされているという実感がもてるようになれば自然と発言力も高まりますし,その充実感からもっともっとその力を伸ばそうと努力することでしょう.経済的に低迷した社会においてはビジネスの需要が少なくなり,それに伴って必要とされる人が減少しているという事実こそが,Twitterユーザ数を増加させた一番のきっかけかもしれません.自分を必要としてくれる機会が増えれば増えるほど,Twitterユーザが減るとまでは言いませんが,つぶやき数は減ってくるのではないかと思います.1日につぶやかれる回数やつぶやく人数を調査して,それなりの方法で解析すると,景気の低迷度や回復度が予想できるかもしれません.それはそれで,社会インフラとしての大きな役割です.

2010年5月26日水曜日

Bluetoothは生き残るか?

Bluetoothは多くの携帯電話にも実装されていますので,一度はこの名前を聞いたことがあるでしょう.しかし,実際に利用している人はそれほど多いわけではありませんので,どんなものなのか知っている人は少ないかもしれません.Bluetoothは半径10m程度の近距離をターゲットとした通信方式です.人間が数歩あるいて届く程度の通信範囲であることから,PAN(Personal Area Network)の技術として知られています.おもな利用方法として,iPodなど携帯音楽プレーヤとイヤホンを無線で接続,あるいは,パソコンとマウスを無線化する,などが挙げられます.そもそも,Bluetoothとはどのようなものなのか見ていきましょう.

歴史的には,デンマークの初代王の息子,ハーラル青歯王(ブルートゥース)がBluetoothの名前の由来となった人物であると言われています.名前はデンマークから来ていますが,通信方式の研究としては,スウェーデンの通信機器メーカーであるエリクソンの社内プロジェクト(1994年)がきっかけです.その後,1998年にエリクソン,ノキア,インテル,IBM,東芝の5社によるBluetooth SIG(Special Interest Group)が設立されました.このSIGにおいて作成されたBluetoothの仕様書には,「Bluetoothは移動体と固定の電子装置との間,また,それぞれの間のケーブルの代替を意図した短距離の無線リンクである.特徴として,強固で,単純で,低消費電力および低コストである.」と書かれています.要するに,近くにある電子装置間を無線で接続するとても優秀な通信方式ということになります.また,Bluetoothは電波を用いているため,障害物があっても回り込んで電子装置に届くので,赤外線などの光を用いた通信と比べると利便性が高いです.

しかし,なぜBluetoothはそれほど日常生活に浸透していないのでしょうか?それは,通信速度の遅さではないかと思われます.現在,1Mbps程度の通信速度しか対応していないため,デジタルカメラ画像やムービー画像を転送するのは時間がかかりすぎます.そのため利用方法が限定され,あまり目にすることがないまま今日に至っていると想像されます.次の世代のBluetoothは24Mbps程度に通信速度が引き上げられるそうです.しかし,10m程度の範囲において数百Mbpsの通信速度を提供するUWB(Ultra Wide Band)という通信方式が既に実用化されていますので,それには太刀打ちできません.もともとのコンセプトは素晴らしいのですが,無線環境においても著しいブロードバンド化が進んだため,Bluetoothの仕様自体に魅力を感じなくなってきました.桁違いの高速化,または,桁違いの低消費電力化を実現しないと,他の新しい通信方式と差別化するのが難しそうです.

情報通信環境は年々高速化が進んでいます.そのたびに新しい通信方式を開発するのもよいですが,既存の通信方式の居場所もしばらくは残しておいて欲しいものです.

2010年5月25日火曜日

Twitterでの広告配信

ついに始まってしまいました.Twitterでの広告配信,「つあど」.ブログや個人のホームページなどに広告を掲載し,閲覧者がその広告リンクを経由して商品の購入や会員登録を行うと,そのリンク元のサイト運営者が報酬を得るアフィリエイトというものがあります.このようなビジネスが,Twitterにもやってきたのです.Twitterユーザが企業からの広告を指定時間につぶやくと報酬をもらえるというものです.

この広告ビジネスはいずれ出てくると思っていましたが,実際に登場すると複雑な心境になります.Twitterのユーザが自分自身をアピールすることによってその人の価値を高める,つまり,Whuffieを増やすという概念はとても心地よく感じていました.自分自身を売り込むというビジネスには共感できるのですが,他人のためにそれを行う,あるいは,他人にそれを行ってもらって商売をするというのは,どうしても違和感があるのです.注目の高いインフラはビジネスになるという考え方はわかります.しかし,金銭的報酬を得るためにつぶやきが行われると考えると,なんだかむなしく感じてしまいます.広告を配信するTwitterユーザのWhuffieが下がるというわけではありませんが,広告配信能力の潜在性をアピールするために,やたらとフォロワー数を増やすというユーザが増えるのは間違いないでしょう.

Twitterの場合,広告を見るのが嫌な場合はそれを発信するユーザのフォローをやめてしまえばよいのですが,これまで支持してきたユーザやファンのツイートをTL(タイムライン)で見ることができなくなってしまうのはとても寂しいものです.それが嫌なら我慢して広告も見なさい,というサービスは受け入れられるのでしょうか?今後の「つあど」の評判に目が離せませんね.

「つあど」のホームページ:
http://twad.jp/

2010年5月24日月曜日

IMT-2000の嘘

現在,皆さんが使っている携帯電話のほとんどが第3世代(3G)であることはご存知のことでしょう.国際電気通信連合(ITU[1])はこれを「IMT-2000[2]」という名前で規格化しました.”2000”という名前がつけられた理由は3つあります.西暦2000年のサービス開始,使用周波数帯が2000MHz帯(2GHz帯),そして,データ通信速度が2000kHz(2Mbps)ということです.そして,IMT-2000を国際標準とするために1つの方式で規定しようとしていました.

ところが,実際にサービスが開始されたのは2001年.これはNTTドコモが世界に先駆けて行いました.しかし,当時の技術ではデータ通信速度は2Mbpsも出ませんでした.また,使用周波数帯も2GHz帯だけでなく,800MHz帯,1.7GHz帯,さらには,2.5GHz帯にまで及ぶこととなりました.そして,国際標準として規格化されたのは1つの方式ではなく,なんと5つの方式です.IMT-2000がやろうとしていたことはほとんど実現されなかったのです.こうなってしまったからでしょうか,いつの間にかIMT-2000という言葉は死語となり,3Gと呼ぶのが一般的になったように思えます.

このように,国際標準というものは,なかなか当初の予定通りにうまくいくものではありません.政治的問題,文化の問題,技術の問題,特許の問題等さまざまな要因が重なり合って1つに決めることができず,妥協した結果マルチスタンダードとなってしまうのです.結果的に1つに絞ることができないのであれば,国際標準と呼ぶのはやめた方がよいですね.

現在の携帯電話は,3.5Gが主流になっており,今年度中には3.9Gのサービスが開始される予定です.3.9GはLTE[3]ともよばれ,4Gへの移行を意識した3Gの最終形です.もちろん,4Gの国際標準化も進められている最中ですが,IMT-2000のようにマルチスタンダードではなく,本当に1つの方式で標準化され,同じ携帯電話端末を用いて全世界何処へ行っても同等のサービスが受けられるようになることを期待します.

略語の説明:
[1] ITU: International Telecommunication Union
[2] IMT-2000: International Mobile Telecommunication 2000
[3] LTE: Long Term Evolution

2010年5月23日日曜日

GoogleTVへの不安と期待

インターネット検索エンジン大手のグーグル,コンピュータの心臓部であるCPU(Central Processing Unit)で有名なインテル,そして,日本の電機メーカーであるソニーがGoogleTVの制作で提携するとの発表がありました(2010年5月20日).GoogleTVとは,テレビでWebサイトを閲覧したり,また,コンテンツを検索し,視聴および録画をできるようにするものです.

このニュースで面白いのは,日本のメディアのほとんどがグーグルとソニーが提携する,ということだけ述べており,インテルの名前が出てこないことです.インテルはこのGoogleTVでAtomというCPUを供給するそうです.インテルの役目はわかりやすいので,グーグルとソニーの役割について見ていきましょう.

GoogleTVにおけるグーグルの強みは,検索技術,広告スペース,AndroidというOS(Operating System),クラウドコンピューティング,そして,傘下のYouTubeというコンテンツです.一方,ソニーの強みは,テレビというハードウェア,そして,映画などのコンテンツです.そう考えると,これらが結合されて提供されるサービスは予想がつきます.すなわち,テレビ番組,映画やYouTubeコンテンツの検索とその視聴および録画,そして,それらのコンテンツサービスと録画場所の提供としてクラウドサービスを使うということになるでしょう.

では,これらのサービスは魅力的でしょうか?テレビでWebコンテンツを見るだけなら既存のテレビも対応していますし,電子番組表を用いてコンテンツの検索ができるレコーダーも既にあります.また,予想されるサービスに関してもパソコンにテレビチューナーを搭載すればすべて可能であることは自明です.そのような状況で,あえて,GoogleTVなるものを制作して意味があるのでしょうか?そして,気になるのはソニーの役割です.もしかすると,モニタの提供と映画コンテンツのライセンス提供だけなのではないかと感じます.モニタに関してはもはや価格破壊が起こっていますので,ソニーにとってはあまりオイシイ商品とは考えられませんし,GoogleTVサービスのためにCATVのようなセットトップボックスを用意するとしても価格はそれほど高いとは思えません.先に述べましたが,このサービスはパソコン上では既に実現できる環境は整っているので,やはりソニーの出番がほとんどなさそうです.Androidを用いた携帯電話とのコンテンツ連携に関しても,現在の技術をテレビに移行するだけです.そう考えると,グーグルはソニーというブランドだけが欲しくて提携したのではないでしょうか?

このように考えると,GoogleTVの魅力は何なのか今ひとつよくわかりません.しかし,グーグルが何の戦略もなしに新しいサービスを行うとは考えられませんので,何かワクワクするような,そして,次世代インターネットライフのさきがけとなるような世界を提供してくれることに期待したいものです.

2010年5月22日土曜日

言葉に関する思い込み

英語を勉強するとき,多くの日本人にとって厄介なものが発音です.英語圏の人と舌の形が違うとかいろいろ言い訳をしたりすることがありますが,言い訳できない思い込みによる発音の違いもあります.私が英語圏の方に指摘されてギョッとしたことをお話しましょう.

英語で「発音する」は「pronounce」で,あえてカタカナ読みをすると「プロナウンス」と読むことができます(本当は若干違うかもしれませんが,日本人の感覚ということでご勘弁を!).「発音する」は動詞ですが,この名詞形である「発音」はどのように発音するでしょうか?「プロナウンシエーション」と答えた人は私だけではないと思います.本当は,「プロナンシエーション」です.「それは変でしょう,だって,pronounciationって書くのだからプロナウンシエーションだよ!」という声が聞こえてきます.しかし,これが思い込みで,言い訳できない間違いなのです.名詞形の「発音」の正しいスペルは,「pronunciation」で,これを見れば「プロナウンシエーション」ではなく,「プロナンシエーション」であることに納得がいくでしょう.

このように,先入観や思い込みで,明らかに間違いであることを絶対的な自信をもって正しいと勘違いしてしまう事が多々あるので注意が必要です.もうひとつの例ですが,政治の話題で政権公約とかマニフェストという言葉をよく耳にします.「マニフェストは公約なので,それを実現できなかったら約束を破ったことになる」というようなコメントが数え切れないほど発せられています.これは本当に正しいのでしょうか?「マニフェスト」を広辞苑で調べてみると,「宣言,宣言書」と書かれています.研究社新英和中辞典で「manifesto」を調べてみると,やはり,「宣言(書),声明(書)」と書かれており,さらに,「イタリア語ではっきり示すことを意味する」と付け足されています.では,宣言や声明は公約と同義語なのでしょうか?どう考えても私には同じ意味に取れません.念のため,ロングマン英英辞典で「manifesto」を調べてみると,「特に政党などの組織によって書かれた声明で,そうであると信じていること,そして,それを実行するつもりであること」,というようなニュアンスが書かれています.どう考えてもマニフェストは宣言,声明であり,公約と考えることはできそうもありません.

ここで,「マニフェスト」が「公約」なのかどうかを判定するつもりはありません.日本語の「宣言,声明」は「公約」を意味する言葉として慣習的に使われてきたかもしれませんので.しかし,この話題を英語圏の人と英語で議論した場合,話がかみ合わないのは言うまでもありません.「マニフェスト=公約」は日本人の思い込みであり,少なくとも国際的には正しくないと言わざるを得ないでしょう.

言葉に関する思い込みは,時には恥ずかしい経験をするだけではなく,重大な問題を引き起こすかもしれません.少しでも不安があったり自信がなかったりする言葉は,是非とも辞書を引いて確認する習慣をつけたいものです.カタカナの言葉に関しては英語辞典も調べてみると新たな発見があるかもしれません.今回も「manifesto」の語源はイタリア語であるらしいことがわかりました.また,「宣言,声明」は英語で「declaration」であるという確証も取れました.ちなみに,「pronounce」には,「公言する,宣言する」という意味もあります.これって「manifesto=pronounce」ということなのでは?今回のブログで取り上げた2つの話は,意外なところでつながっていることを偶然発見しました.

2010年5月21日金曜日

ひとにやさしいスマートフォン

iPhone,アンドロイド携帯,Windows Phoneなど,昨年から今年にかけてスマートフォンの利用者が爆発的に増加しています.スマートフォンは頭のいい携帯電話,すなわち,高機能携帯電話と言い換えてもよいと思います.ルーツは,PDA(Personal Digital Assistant)であり,それを発展させて携帯電話になったものと考えられますが,ポケベルの発展系とも思えるタイプもあります.実際に使ってみると,日常生活において使うレベルでは,パソコンでできることはほぼすべてできますし,携帯性や操作性を考えるとパソコン以上の利便性も備えています.スクリーンサイズも通常の携帯電話と比べるとかなり大きくなっています.しかしながら,問題点も多く存在していますので,それについて見ていきましょう.

スマートフォンの問題点として,消費電力が大きいという点が挙げられます.無線LANやBluetoothなどの無線通信機能を使っていると,半日も経たないうちに再充電しなければならないほどです.さらに,端末価格も大変高いです.人気モデルはノートパソコンの価格よりも高いことがほとんどです.加えて,文字入力がしにくいというのも問題点です.最近では手書き入力や音声入力も実装されるようになりましたが,それらの認識率は実用に耐えるレベルではないと感じます.

上記のようなスマートフォンの問題点はメディアでよく取り上げられますが,別の観点から見た問題点もあります.それは,スマートフォン中毒です.Twitterを含むSNSサービス,ブログなど,スマートフォンを用いて閲覧および書き込みが用意にできるようになりましたので,暇さえあればそれらにアクセスするようになり,特に若者を中心に四六時中スマートフォンをいじっていないと不安に感じる人も増えています.また,自分宛てのメッセージを受け取ると,すぐに返信しないといけないという感覚を持つようになり,就寝中もメッセージの着信バイブレーションで目が覚め,寝不足のために日中の集中力がなくなることも少なくありません.スクリーンも大きくなったとはいえ,パソコンと比べるとはるかに小さく,長時間使用には向いていないために頭痛,視力の低下,肩こりなどを引き起こすという問題も発生しています.

このように,便利であるが故に利用者が増え,そのため競争が起こってさらなる新機能の充実が行われ,ますますスマートフォンに対する中毒者が増えてしまいそうです.ビジネスという観点では売れる機能を充実させるのは当然かもしれません.しかし,健康を害せず,何気なく日常生活の助けとなるような,「ひとにやさしい携帯電話」こそが,真のスマートフォンなのではないでしょうか?

2010年5月20日木曜日

モバイルFeliCa

駅の改札で「ピッ!」と音を立てながら急ぎ足で駆け抜ける人々.便利になったものです.ちょっと前までは切符や定期券を自動改札機に通していましたが,最近ではバッグの底に定期券を入れておいても改札を通り抜けることができます.SuicaやPASMO(おもに関東圏)はFeliCaというソニーが開発した非接触型ICカードの規格で,チャージされた金額分の運賃をカードリーダーに読ませることで支払いができます.いわゆる電子マネーであり,EdyなどもFeliCaを使っています.カードというとなんだか名刺の大きさを連想するかもしれませんが,実際はそのカードにICチップが埋め込まれており,それがFeliCaそのものと考えた方が正しいです.そのICチップは携帯電話にも実装されるようになり,モバイルFeliCaとして利用できることも多くの人は知っているでしょう.

モバイルFeliCaはFeliCaのICカードにはない面白い機能があります.ICチップ内にはカードを識別する番号や電子マネー決済情報などを格納しているメモリが存在しますが,その部分はセキュリティ確保のためにユーザが利用できないようになっています.これは,モバイルFeliCaもFeliCaのICカードも同じです.しかし,モバイルFeliCaにはユーザ領域といって,ユーザが自由に利用できるメモリも用意されています.つまり,その領域にデータを書き込んだり,それをリーダに読み込ませたりすることができるのです.

当研究室の学生も,モバイルFeliCaのユーザ領域にプログラムを書き込んだり,そのプログラムをリーダに読み込ませてパソコンで実行させたりするアプリケーションを製作しました.普段何気なく持ち歩いている携帯電話をリーダにタッチするだけで,データやプログラムをやり取りできるので,直感的な操作という面でとても使いやすいです.USBメモリの場合は,いちいちパソコンのポートに差し込んでファイルをクリックしたりしなければならないことを考えると,雲泥の差です.しかし,ここでひとつ問題がありました.ユーザ領域には64バイトというスペースが3つ用意されており,合計でも192バイトしかありません.これでは,ほんの小さなデータしか格納できません.192バイトというのは半角文字192文字分ですので,電子書籍などは到底持ち歩くことができません.簡単なメモかインターネットアクセスのURLがやっとでしょう.

半導体技術の進歩を考えると,もう少し大容量のユーザ領域を用意することは特に難しいことではないはずです.是非ともソニーにはユーザ領域の拡張を検討して頂きたいと思います.それによって,新しいアプリケーションの創出が可能となり,新たなビジネスチャンスも開けるでしょう.

2010年5月19日水曜日

アンビエント.ミュージック

アンビエントとは,情報通信分野におけるポスト・ユビキタス,すなわち,ユビキタスの次にやって来る社会的概念と考えられています.アンビエント(ambient)は,「周辺の,環境の」という意味ですが,人間と環境とが溶け込んだ社会を「アンビエント社会」と呼ぶようになるかもしれません.「ユビキタス社会」という言葉も頻繁に使われていましたが,私自身どうしても馴染めない表現です.というのも,ユビキタスは遍在するという意味ですので,「ユビキタス社会」は直訳すると遍在する社会,すなわち,どこにでもある社会という意味になってしまい,何を指しているのかよくわかりません.同じように,「アンビエント社会」は環境社会という意味になってしまい,ますますそれが何なのかわからなくなってしまいます.

語句の意味はさておき,「アンビエント・ミュージック」というものがあります.イギリスのブライアン・イーノというミュージシャンが唱えた音楽の概念で,その語が示すように「環境音楽」という意味です.この表現は理にかなっています.すなわち,アンビエント・ミュージックはさまざまな場所や状況に溶け込むのです.例えば,1978年に発表されたイーノの「Music for Airports」というアルバムは,時折聞こえる空港でのアナウンス,飛行機のエンジン音,人々が集まった時のざわめきなど,空港という環境に存在する音と一体となった音楽空間を作り出しています.しかしながら,それらの音を直接混合しているわけではなく,人間が聞いたときにそれが気配として伝わるような融合された音楽空間を実現するところに面白さがあります.

実際に,何かを表す「もの」自体を表に出すのではなく,その「もの」を気配として何気なく感じさせる,そんなアンビエント・ミュージックはいろいろなことに応用できそうです.眠気を誘うような音楽もその一種かもしれません.しかし,私が欲しいアンビエント・ミュージックは,聞いていると電子メールが着信したことを何気なく伝えてくれるようなものです.ほとんど病気ですね.

2010年5月18日火曜日

情報伝達手段

通信は情報伝達手段のひとつで,その概念は大昔から存在しています.例えば,遠隔地の情報伝達手段として飛脚がありましたし,緊急の場合は狼煙(のろし)を用いた中継伝達(マルチホップ伝送)も用いられました.情報伝達は何のためにあるかというと,人間の意思の疎通を図るためにあると考えることができます.インターネットをはじめとする電気通信が当たり前の世の中ですが,ここはひとつ基本に戻って歴史を振り返ってみたいと思います.

意思の疎通を図るためには身振り手振りによる対面コミュニケーションがあります.目の前に情報を伝達したい相手がいるので視覚的に意思を伝える手段です.しかし,目の前に相手がおらず,また,いつ近くに来るかわからない場合は何らかの形で伝えたい情報を残す必要があります.最も原始的な方法は骨や石を用いて壁や地面に絵や記号を描くことでしょう.このように情報を記録・保存することで非対面コミュニケーションを実現できます.しかしながら,ここでひとつ問題があります.遠くの人に時間をかけて会いに行き,身振り手振りでは伝えられないほどの多くの情報を伝達しなければならない時はどうすればよいでしょうか?そのように時間や場所の制約を受けない情報伝達手段として,文字や紙の発明があります.ここまで来るとかなり私達の生活に近くなりますね.

文字と紙があれば何でもできそうですが,様々な場所にいる人々に情報を伝達するためには必要枚数の紙に文字を書かなければならず,数が3桁を超えるとほとんど不可能です.これを解決したのが印刷術の発明です.印刷術によって1対多の情報伝達が可能となり,かつ,情報の記録性も大幅に改善されました.印刷術はドイツのヨハネス・グーテンベルクによって発明され,聖書を印刷したことで知られています.まさしく時間や場所の制約を受けず多数に情報伝達できる素晴らしい手段です.印刷術は発明されてから500年以上経った現在でも,大活躍していることを考えるととても息の長い技術です.最近では書籍を含め,紙媒体から電子媒体に移行してきたものも多いですが,印刷術はまだまだ続くと思われます.

その後,本格的な電気通信技術が研究開発され,モールス信号伝送,電話機,交換機,真空管の発明があり,情報伝達距離が飛躍的に延びました.この時点でようやく,現在の「通信」と呼ぶにふさわしくなってきます.そして,無線技術の進歩とともにラジオやテレビなどの放送が実現され,音声と映像の同報通信が可能になりました.

さて,情報伝達手段の歴史を振り返ってみましたが,情報は意思の疎通を図るために何らかの形で表現され,伝達され,そして,記録されることによって私達の生活に浸透してきました.今日では,このような3つの特徴をもつものはメディア(媒体)という言葉で置き換えられます.すなわち,メディアという概念は,人間の意思の疎通を図るために何千年(あるいは何万年?)もかけて進化してきた文化と考えることができます.これからもこの文化の進化には目が離せません.電気の次はどのような形に変化していくのでしょう.

2010年5月17日月曜日

フリー(無料)の衝撃

「えっ,これもタダなの?」,と思えるようなソフトウェアがインターネット上には数え切れないほど存在しています.皆さんが公開しているホームページやブログ,さらには,電子メールアドレスも無料で提供されている場合が多いでしょう.このように,無料で様々なものを提供してはいるものの,ビジネスとして成立するという考え方がフリー経済モデルです.昨年出版されたChris Andersonの著書,「FREE」はこれについて詳しく述べており,今まさに,注目を浴びているビジネス手法です.

「フリー」の形態はおもに4つに分類されます.1つ目は,「2つ購入すれば3つ目は無料」,というようなフリーです.2つ目までの価格に3つ目の価格がちゃっかり上乗せされている場合です.ふたつ目は,「ユーザは無料でインターネット上のコンテンツを視聴できるが,広告も一緒に表示されるよ」,というようなフリーです.この場合,コンテンツ業者に広告料を払っている企業は商品価格にそのコストを上乗せしています.3つ目は,「基本パック版は無料だが,全機能を含むプレミアム版は有料だよ」,というようなフリーです.無料の基本パック版で試した人のうち,数人でもプレミアム版を購入してくれれば,その売り上げで他の基本パック版分のコストも回収します.最後の4つ目は,「貨幣価値的に本当に無料」,というようなフリーです.例えば,不要になった物を無料で誰かに提供する,自分の作成したソフトウェアをホームページ上に公開して無料で利用してもらうなどの形態です.

上記4つの「フリー」の形態について,Chris Andersonは,「直接的内部相互補助」,「三者間市場」,「フリーミアム」,「非貨幣市場」,と定義しています.4つ目の非貨幣市場に関してはお金が手に入らないのでビジネスではないと感じる方もいるかもしれません.確かに直接的にはそうですが,不用品を無料で提供することによって粗大ゴミとして捨てるための手数料が不要になる場合もありますし,無料ソフトウェアの提供によって評判,名声を得て,やがてそれがビジネスにつながる場合も考えられます.
このように,フリーという概念はユーザから見ると喉から手が出るほど嬉しく感じるところ,そして,多くのユーザに注目を浴びるところが重要であり,それをうまく利用することによってとてつもない富につながるところが衝撃的です.

今後,上記4つ以外にさらなるフリーの形態が創出されるかもしれません.また,そのような考え方が今の時代にとてもマッチしています.ただし,フリーを手にするためには何らかの個人情報,例えば,電子メールアドレス,性別,年齢層,居住地域などを提供しなければならない場合が多いので,自己責任の元で楽しんでいただきたいと思います.リスクとリターンはいつも背中合わせです.もし,それらの情報提供を拒むのであればサービスを受けなければよいだけです.選択の自由はユーザにあるのです.

参考資料:
[1] クリス・アンダーソン, "フリー-無料からお金を生み出す新戦略", NHK出版.
[2] 週刊ダイヤモンド, 第98巻12号, 2010 3/13.
[3] 苫米地英人, "FREE経済学入門-知らないではすまされない!世界を支配する「フリーミアム」の解説書", フォレスト出版.

2010年5月16日日曜日

大学授業料の無料化

大学で教育を受けるためには授業料等を払わなければなりません.しかし,日本の私立大学では国立大学と比べて,卒業までに何倍もの金額を納めなければならない場合が少なくありません.例えば,年間150万円必要な大学では,4年間で600万円という大金が必要です.普通に考えると,600万円というお金を貯めるだけでも,気の遠くなりそうな金額ですね.毎年支払わなければならないお金は,授業料,設備費等々いろいろな目的に使われますが,一番わかりやすいのは授業料です.というのも,時間換算できるからです.その授業料を無料にして,履修申請料という形にしたらどうかと思います.

通常,年間授業料を支払えば,その年度における履修単位数上限の範囲内で追加料金なしに何単位でも申請できます.しかし,必要な申請単位数は人によって異なりますし,単位を落として次年度に再履修をすると再履修料金を徴収する大学もあります.そのような環境では,年間に支払う一律の授業料が実質的に単位取得とどのように関係づけられているかわかりにくいですし,大学に支払う金額が増えることはあっても減ることはありません.優秀で頑張っている学生に対しては支払い額を減らしてあげられるシステムが必要です.

そこで考えついたのが,毎年,履修申請単位数に応じて申請料という形で授業料を徴収する方式です.しかも,当該年度に申請する単位数が多ければ多いほど1単位当たりの申請料を割り引くのです.この方式であれば,頑張る学生は可能な限り多くの履修申請を行い,単位を取得し,卒業までに支払う金額を抑えることができます.ただし,単位を取得できず次年度以降に再履修をする場合,その単位分に関しては割引対象申請単位数に換算しないことにします.

この方式は,単に再履修者からお金を多く払ってもらって,多くの単位を申請,取得する人に還元するというだけではありません.学生にとっても授業を真剣に受けて学習するという動機づけになるので,結果として授業内容の理解力も高まり,充実したレベルの高い高等教育の達成につながると考えられます.さらに,学生自身がどのような履修計画を立てるべきかを考えるようになりますので,中長期計画の意義を学ぶことにもつながります.

ここで重要なのは履修申請料の値段設定です.この設定を間違えると大学経営にも支障をきたすからです.しかし,卒業要件を満たすための最低取得単位数は決まっていますし,これまでの再履修状況のデータがあるわけですから,適切な分析を行えば履修申請料の落とし所を決定できるはずです.大学経営基盤を安定させるために授業料を一定額確保するという戦略は,少子化と受験者数減少とともに授業料の値上げに向かうことになります.その結果,さらに受験者数の減少を招くという悪循環が起こります.学生は自己能力の把握と学習計画性をもとにリスクとリターンをよく考えて履修申請を行い,そして,大学は適正な単位申請料を提示することで,市場原理に基づく大学ビジネスを求めてもよい時代になってきたのではないでしょうか?

2010年5月15日土曜日

ウェーバーの法則の不・思・議

人間が感じる「差異」は不思議な法則に支配されています.何か荷物を手で持った時,「重い」とか「軽い」と感じますよね.しかし,どれくらいの重さが加わると,その追加された重さを認識するのでしょうか?100gとか200gでしょうか?これを実験によって明らかにしたのがドイツの生理学者ウェーバーで,人間が認知する重さの最小単位についてある法則を見出したのです.

100gのおもりを手に持っていることを想像してください.今,おもりを1gずつ増やしていったとき,何gのおもりを追加したときにおもりが重くなったと感じるかという実験を行います.個人差はあると思いますが,平均値として102gになった時に重くなったとします.では,200gのおもりを手に持っているときは,202gになった時に重くなったと感じるのでしょうか?実はそうではなく,平均値として204gになった時に重くなったと感じます.すなわち,基準となるおもりの重さが変わると,人間が認識できる重さの差異(最小単位)も変わります.もう少し詳しく言うと,認識できる重さの差異は基準となる重さに比例するということができます.

この事実は,重さという触覚だけでなく,視覚,聴覚,味覚,そして,嗅覚などにも成り立ちます.では,この法則は五感にだけ成り立つものなのでしょうか?もっと精神的なものにもあてはまるような気がします.例えば,100円の商品が105円に値上がりした時の悔しい感覚は,500円の商品が505円に値上がった時より大きく感じ,525円に値上がりした時とほぼ同じくらいに感じるでしょう.また,お金持ちが300円の宝くじが当たっても嬉しくないですが,貧乏な人は大喜びするでしょう.この場合,基準となるのは自分が持っている貯金ということになります.おそらく,商品の価格は人間のこのような心理を利用して,設定・変更しているのではないかと思います.

では,おもりを減らしていく場合や,商品の値下げが行われる場合も同じ法則が成り立つのでしょうか?増加と減少では認識できる差異の値は異なるかもしれません.人間にとって好ましいことと好ましくないことでは,認識する変化量が違うと思います.例えば,動画像の品質が10%劣化するとそれにはすぐ気づきますが,反対に10%良くなっても気づかないということはあり得ると思います.しかし,比例関係については成り立ちそうな気がします.実際に実験を行ったわけではありませんので自信はないですが.

2010年5月14日金曜日

褒める教育

褒めることで子供の学力を伸ばすというのは昔から言われている言葉です.一般的に人間は褒められると嬉しいのでやる気が出て,その結果良い成果をもたらします.さらにそれによって,また褒められるという好循環を生み出すことから学力が伸びるのでしょう.直感的にはこの論理はわかりますが,実際にはそうなのでしょうか?

ある学校のクラスを学力的に均等になるように2つに分けて試験を行います.一方のグループには採点した答案を返却し,もう一方のグループにはひとりひとりの生徒に試験はよくできたとだけ言い,答案を返却しません.その後しばらくして,別の試験を行い,各々のグループに対して同様のことを行います.何回かこれを繰り返した後,試験の出来栄えを比較すると,褒めたグループの平均点の方が答案を返却したグループの平均点より高くなります.これをピグマリオン効果といいます.

この実験からも,褒めることによって学力が伸びるということは実証されています.ここで気になるのは,どんな場合も褒めれば学力は必ず伸びるのかどうかということです.多くの学校の試験のように初めから答えがある試験に関しては,勉強さえすれば学力は伸びるかもしれません.しかし,これは知識の習得の繰り返しに他なりません.問題の解き方が決まっていないものや,答え自体がない問題に関しては,いくら褒めても正解に行きつかないので成績はアップしません.そのような試験を受けた人自身も正解が得られなかった事実はよくわかっているので,試験はよくできたと言われてもその言葉を信用しないでしょう.

解答の導き方がわからないものや,正解自体がわからないような問題を解決するには別の方法が必要になります.研究もそうですが,問題を解くだけでなく,問題の意味を考える必要があります.すなわち,問われているものは何か,なぜそれを問うのか,他の類似した問題はなかったか,など思考が必要となります.このような場合,集団でブレインストーミングを行うと思いもよらない解決策が導かれることがあります.ブレインストーミングでは各々が好きなように意見を出し合い,出された意見に対しては決して否定しないというルールがあります.この点も大切なことで,否定されないということは自分の意見が間違っているという決断はされないことになります.否定されないが故に,ブレインストーミングにおいて自分の存在感を自覚することができ,これがまた次の意見を出すためにプラスにはたらきます.

以上のことから,褒めるにしても否定しないということにしても,結果的にその人の価値を他人が認めることとなりますので,それを実感することによって良い思考がなされるということがわかります.

2010年5月13日木曜日

ホームページ文化の崩壊

誰でも知っている「ホームページ」.ホームページは企業や研究機関,さらには,個人などが情報発信を目的としてインターネット上に公開しているwebコンテンツです.インターネットの普及とともにこれまで数え切れないほどのホームページが作成されてきました.私も職場のホームページを作成しています.内容を更新するたびに,構成やデザインをもっと簡単に変更する方法がないかと悩んでいます.

現在,多くのホームページ作成ツール(ソフト)が存在し,それぞれ,あっという間に公開できるとか,他のツールで作成したものを取り込めるとか,プロ並みのページが即座に作成できるようなことを謳っています.確かにテンプレート通りに作成すればかっこいいホームページになるのですが,メニューを増やしたり,デザインを変更したりすると,文字の体裁や写真の表示位置など多くの問題が発生します.それらを一つ一つ直そうとしても,ソフトの機能が複雑すぎてよくわからず,また,設定を変更したにもかかわらずそれが反映されていなかったりして,結局初めから作り直すことを何度も経験してきました.いまだに自分に合ったホームページ作成ツールに出会っていません.

別のwebコンテンツとして,「ブログ」があります.まさに,今見ているこのコンテンツがそれで,私もつい最近始めました.ブログはホームページと大変似ていますが,更新頻度が高く,また,閲覧者からのコメントなどを書き込める仕組みが充実しており,ユーザ参加型のいわゆるweb2.0というコンテンツの種類に含まれます.ブログを作成するためのツールは,先に述べたホームページを作成するツールと比べるとはるかに使いやすいです.多くの場合,ブログサイトを提供しているサービスプロバイダがそのツールを提供しており,自分の思うように文章や写真の配置をきめたり,変更したりできます.

ブログの中でホームページと同じ情報を記載することも簡単ですし,更新頻度が高いことを考えると,静止画と動画の違いくらい大きな差があるように感じます.そう考えると明らかにブログの方がコンテンツの価値が高いと言えます.近いうちにホームページはすべてブログに置き換わってしまうのではないでしょうか?そして,ホームページの内容をあまり更新していない企業などはやる気がないと判断され,淘汰の道を歩んでしまうのではないかとさえ思えてしまいます.組織の状況は時々刻々変化しているはずですので,それらの情報が更新されていないということはその組織の状況は悪い方に向いているからであると思われても仕方ありません.それゆえ,これまでのようにあまり更新されないホームページというコンテンツは消え失せるのではないかと予想されます.使いやすいホームページ作成ツールがほとんど存在しないのも,ソフトウェア開発者はすでにブログの方を重要視しているからなのではないでしょうか.

ブログ,Twitterなどからわかるように,コンテンツの動き,そして,リアルタイム性が要求される時代ですので,静的なホームページ文化は既に崩壊してしまったのかもしれません.ホームページのコンテンツ管理者は,ブログの作成者になっていることでしょう.

2010年5月12日水曜日

クラウドコンピューティングの連携

昨日のブログのタイトルは,「せつないクラウドコンピューティング」でした.読み直してみるとクラウドコンピューティングに対してネガティブな表現で終わっていましたので,もう少し明るい話をしたいと思います.それはクラウドコンピューティングの連携です.

クラウドコンピューティングのサービス形態は大きく分けて,IaaS,PaaS,SaaSの3つに分類されることを(昨日のブログ)述べました.現在,それぞれのサービスを,アマゾン,マイクロソフト,グーグルなどが得意分野を中心として提供しています.しかし,よく考えるとクラウドサービス間のサービス利用も可能なはずです.例えば,アマゾンが提供するIaaSのハードウェア資源にマイクロソフトが提供するPaaSによってオペレーティングシステムを導入し,さらに,その環境でグーグルが提供するSaaSによってWebアプリケーションを利用するということも考えられます.もし,このような形態を実現した場合はクラウドの3層構造ということになります.さらに,その各層はいくつかのクラウドを連携して構成するということもあり得ます.つまり,小さなIaaSをいくつか集めて比較的大きなIaaSを提供しても良いわけです.このような形態が既に実施されているかもしれません.クラウドなので実際にはわかりませんが.

クラウド連携を行った場合,あるクラウドが持っていない資源を他から借りてきて提供することも可能になります.クラウド間の資源の貸し借りはお互いさまなので無料にできれば良いですが,クラウドによって規模や経営戦略が異なるのでら,値段交渉をすることになるのでしょう.

クラウドがいくつも連携することでネットワーク遅延によるパフォーマンスの劣化が懸念されますが,そのような問題はいずれ技術が解決するでしょう.それよりも,どのクラウド・サービスプロバイダと契約してもユーザはあらゆるサービスを受けられるので,プロバイダを比較選別するという煩わしさがなくなります.ユーザがプロバイダを選択する場合,わかりにくい料金プランや規約に騙されそうになったりしますが,そのようなサービスの違いでユーザを相手に商売をするのではなく,クラウド間の資源の貸し借りという業者間の商売に徹してもらうと,個人的には助かります.

近い将来,テレビも単なるディスプレイ端末となり,クラウドサービスに加入することでシャープのAQUOSになったり,ソニーのBRAVIAになったりするかもしれません.そうなると,メーカーはハードウェアを製造しますがユーザから見るとソフトウェアサービス会社に見えることでしょう.

2010年5月11日火曜日

せつないクラウドコンピューティング

クラウドコンピューティングとは,コンピュータの機能をネットワーク内の資源によって実現する仮想コンピュータ環境です.ユーザは最低限の機能を持った端末とネットワーク接続環境さえあれば,あたかも全ての機能をその端末が提供しているように感じながら利用できます.どこまでの機能をネットワーク内の資源に任せるかによって,IaaS(Infrastructure as a Service),PaaS(Platform as a Service),SaaS(Software as a Service)などとサービス形態が区別されます.IaaSはハードウェアの機能自体をネットワーク内資源に提供してもらいますので,ユーザはその環境に好みのオペレーティングシステム(WindowsやLinuxなど)を導入して利用します.したがって,ユーザはネットワーク接続環境とキーボード,マウス,モニタなど入出力装置がある端末さえ用意すればよいことになります.PaaSはプラットフォーム,すなわち,多くの場合オペレーティングシステムなどの実行環境をネットワーク内資源に提供してもらい,ユーザは好みのアプリケーションを導入して利用します.SaaSはアプリケーションパッケージ(Office Web AppsやGoogle Appsなどが有名)などをネットワーク内資源に提供してもらい,ユーザのコンピュータ端末にインストールすることなしにそれらのアプリケーションサービスを利用することができます.

クラウドコンピューティングは,このようなコンピュータの機能をネットワーク内に分散させて利用しますので,ネットワークに接続さえできれば原理的に何処でも利用できますし,機能の拡張および縮小も容易です.しかし,実際にそれらの機能を提供している資源がネットワーク内の何処にあるのかはわかりません.コンピュータ資源が雲(クラウド)で覆われているようなサービス実行環境なのでクラウドコンピューティングと呼ばれているわけです.

クラウドの概念は様々なケースに応用できます.例えば,最適な電力量を多様な電力供給源から提供できるようにするスマートグリッドは典型的なアプリケーションです.また,テレビも近い将来単なるモニタになってしまい,ハードウェアの機能はネットワーク内資源に任せて月々使用料を払うというようなサービスに取って代わるかもしれません.

このように考えると,よいことばかりに思えますが,私のように技術系のユーザは,使う/使わないにかかわらず何でも自分の手の届く場所にないと不安に感じるので,クラウドコンピューティングの利用者には向いていないかもしれません.もし,ネットワークトラブルが起こったら仕事ができないとか,現在利用しているサービスが廃止になったらどうしようかと考えてしまいます.一番気にすることは,コンピュータ(機能)の実態は見当もつかない場所に存在しているということです.目の前にあるのに触ることができないなんて,なんてせつない世界なのだろう,と感じてしまうのです.

何処にでもありますが,何処にあるかわからない,このようなコンピュータ環境に違和感なく溶け込めるようになるまでには,まだまだ時間がかかりそうです.

2010年5月10日月曜日

社会インフラとしてのTwitter

「東京駅なう!」,などとネット上にメッセージを投じるTwitter(ツイッター).これは,インターネット上で140文字以内の「つぶやき」を不特定多数のユーザにリアルタイムで配信し,また,自分で選択(フォロー)した人のつぶやきを受信するサービスです.つぶやきと同時に写真などもアップロードすることができるため,受信者はWebコンテンツと変わらない情報を取得することができます.Twitterは,現在,全世界で1億以上のユーザが利用しており,その数は毎日増える一方です.

Twitterの特徴はリアルタイム性です.ユーザのつぶやきは即座にネット上に配信されるため,生の情報を得ることができます.2009年1月にニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着したという事故がありましたが,この事故の第一報はiPhoneからTwitterに書き込まれた写真付きのつぶやきでした.テレビによる報道よりも早かったのです.この事実は,Twitterというコミュニケーション・ツールがテレビやラジオといった速報性のあるメディアに取って代わる瞬間を意味していたのかもしれません.

リアルタイム性の他にTwitterの特徴として強調すべきことは,メッセージが直接相手に届けることができる点です.例えば,一国民が総理大臣や閣僚,さらには,大会社の社長に直接メッセージを届けることも可能です.しかるべき権力のある人に直接メッセージを届けることができる場合は,問題を即座に対処してもらえる可能性が高いのです.昨日のTwitterでつぶやきを見ていると,iPadを予約しようとしていた人がソフトバンクモバイルからクレジットカードがないと契約できないと言われ,Twitterで孫社長に向けて何とかしてほしいとつぶやいたところ,孫社長はシステム変更に数日必要ではあるが現金一括でも買えるようにすると返信しました.瞬時に社長決裁が下りて問題の解決が可能となったのです.もし,本件,カスタマーサービスへ話をした場合どうなったでしょうか?おそらく,孫社長にそのメッセージが伝わるまで何日もかかったに違いありません.それどころか,社長までメッセージが届かないといった状況になる可能性も否定できません.

上記,孫社長のメッセージは世界中のTwitterユーザにも届いたのです.すなわち,孫社長は現金一括でもiPadの購入を可能にすると宣言したことに他なりません.そう考えると,Twitterは単なるコミュニケーション・ツールという域を超え,テレビ,ラジオ,そして,新聞と同様,既に報道としての社会インフラになっているということができます.このようなインフラの登場は一般の人々にとっては強い味方になってくれます.当局による理不尽な介入や盗聴,さらには,つぶやきに関する社会的責任の押しつけなど,面倒な問題になってほしくないですね.そっとしておいてもらえればと.

参考資料:
津田大介, "Twitter社会論-新たなリアルタイム・ウェヴの潮流", 洋泉社.

2010年5月9日日曜日

宇宙からのメッセージ観測

皆さんはものすごい数の宇宙線が地球に降り注いでいるのをご存知でしょうか?宇宙線とは,宇宙空間を飛行している放射線と考えるとわかりやすいかと思います.例えば,ガンマ線,電子線,原子核など様々な種類があります.「そんなに多くの放射線を浴びて人間は大丈夫なの?」という声が聞こえてきそうです.しかし,地球には分厚い大気が存在し,宇宙線の多くはそこで吸収されてしまうので大丈夫です.今,このような宇宙線のうち特に電子線とガンマ線に着目し,国際宇宙ステーションで観測する計画,CALET(CALorimetric Electron Telescope)の準備が進められています.私もこのプロジェクトに参加させて頂いており,2013年の打ち上げを目指して本年度から本格的にデータ処理システム等の研究を行っています.

このような宇宙線の観測は何のために行っているのでしょうか?一般的に宇宙線の観測では,どの種類の宇宙線が,どのくらいのエネルギーを持って,どのくらいの頻度で,どの方角から飛んでくるのか,という情報を取得します.それらを解析することによって,宇宙線の起源はどこか,どのように加速されて地球に到来したかなど,宇宙現象の解明を目的としています.

見方を変えると,想像を絶するような遠くの場所から,「何らか」のきっかけで光に近い猛スピードで飛んでくるわけですから,「何らか」の意味をもたらす宇宙(自然)からのメッセージと捉える事が出来ます.先に述べた情報を観測することによってそのメッセージを理解しようとするわけです.これは広い意味での超長距離片方向無線通信と言えます.通信というと,一般的には電気信号を発信者から受信者へ送ることを想像するでしょう.しかし,この宇宙線通信は送信者が不明,どこを通ってきたかも不明,しかしながら,確かにメッセージは到着したという事実をもとに,そのメッセージを統計的に解読する研究ということができます.通信の歴史を振り返ると,人間と人間との通信,人間と機械との通信,機械と機械との通信が登場しましたが,自然と人間との通信があってもいいじゃありませんか!

CALETのホームページ:
http://www.calet.rise.waseda.ac.jp/

2010年5月8日土曜日

電子書籍は何故失敗したか?

タイトルを見て,「これからのビジネスなのに何をいっているのか?」と思った人もいるかと思います.ご存知のように,アマゾンのKindleやアップルのiPadが発売され,さらに,グーグルも電子書籍サービスを始めると報道されたばかりで,今がまさに電子書籍の旬なのかもしれません.しかし,日本では10年以上も前から電子書籍サービスを試みようと,電子書籍コンソーシアムまでつくられ,実証実験も行われました.ところがこの試みは2000年の初めに終了してしまいました.

当時の試みは,書店に設置されたマシンから電子書籍リーダーに書籍データをダウンロードするという方式を考えていました.しかも,そのデータはテキストデータではなく書籍のページ画像そのもので,検索などの利便性は全く考えられていませんでした.書店に設置されたマシンを使わないとダウンロードできないような方式にした理由は,書籍流通における卸売業者が中抜きにされては困るということから反対があったからのようです.また,出版社は書籍の使用権をもっておらず,著者から電子書籍出版の承諾を得るのが大変で,本格的なサービスを行うために十分な電子書籍数を用意できませんでした[1].

このような事情を考えると,事業化できなかったのも納得します.しかし,現在はアマゾンの電子書籍サービスのように開始当初から何万点もの書籍を用意できるようになったプラットホームが存在します.また,紙媒体を減らしていこうとするエコロジーの考えからも,ドキュメントを電子的に読む習慣が一般的になったという追い風もあり,今回の電子書籍サービスは大きな事業になるものと期待されています.気がかりなのは,このようなサービスは,もはや著者,電子書籍販売業者,読者の三角構造だけでビジネスが成り立ってしまいますので,出版社や卸売業者は不要となってしまうということです[2].実際にアメリカのアマゾンではセルフパブリッシングといって,著者が直接アマゾンの電子書棚に本を電子的に提供し,売れた分だけ契約上の取り分をもらうというサービスが現実に行われています.中間マージンが極力減るというのは,著者と読者にとっては喜ばしいことですが,これが問題となって電子書籍がかつての例のように失敗しないことを祈ります.

参考資料:
[1] 佐々木俊尚, "電子書籍の衝撃-本はいかに崩壊し,いかに復活するか?", ディスカヴァー携書.
[2] 明石昇二郎, "グーグルに異議あり!", 集英社新書.
[3] 電子書籍コンソーシアムのホームページ:
http://www.ebj.gr.jp/

2010年5月7日金曜日

空気を読むだけじゃだめ

「そうだよね,良かった!やっぱり会って話すと気持ちがちゃんと伝わるよ!」
コーヒーショップで1組の恋人同士が話をしているときに,嬉しそうに彼女は言いました.昨晩の電話で口論となった2人は埒が明かないので会って話をすることとなったようです.人間がface-to-faceで話をするときは単に言葉を耳から聞いているだけではなく,相手の口調,うなずき,ジェスチャーなどを自然に観測しており,言葉の奥に隠れた真の気持ちを読み取ることによってコミュニケーションを豊かにしています.電話で話だけを聞いていると相手の反応がわかりにくく,おそらく問題があったことを説明するにしても言い訳がましい単語が長々と続き,聞く耳さえ持たなくなっていたのかもしれません.別の例を見てみましょう.

「バスがなかなか来ないなあ.待てよ,今日は祝日だから休日ダイヤだ!」
このような経験を誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか?しかし,もし,バス停へ出かけようとしている時に家の玄関のインターホンのスイッチが入り,スピーカから,「今日は祝日なので電車やバスのダイヤには注意しましょう!」,と音声メッセージが流れたらこのような失敗を減らすことができます.
これらの例に共通していることは,人間がそのとき置かれている状況を自動的または自然に取得し,それをもとにその人が必要としている情報などを判断し,知らせていることです.最初の例のように,人間と人間との間ではごく当たり前に行われますが,相手がコンピュータの場合はそう簡単にはいきません.このように,人間とコンピュータとのコミュニケーションをより豊かなものにするために近年活発に行われている研究が,コンテクストアウェアネスです.

では,コンテクストとは何でしょうか?研究社新英和辞典でcontextを調べてみると,「(1)[文章の]前後関係,文脈,脈絡,コンテクスト,(2)[ある事柄の]状況,環境」,と書かれています.(1)は文法用語そのものなのであまり役に立たないかもしれませんが,(2)はまさにここで述べたい内容であることがわかるでしょう.これを踏まえてコンテクストアウェアネスとは何かを考えると,コンテクストを取得および解釈し,それをもとにユーザが必要とする情報やユーザにとって有意義な情報を判断すること,と定義することができます.言い換えると,「空気を読む」,という行為に近いと考えることができます.


辞典における “context” の説明

コンピュータがコンテクストを取得するとは,例えば,センサから気温,加速度,位置などを取得する,コンピュータやインターネットから予定表,天気予報,株価などを取得する,などが考えられます.センサから得られる直接的なコンテクストは一般的に低位レベルのコンテクストであり,それだけでは人間にとって有効にはたらく情報とはなりにくい場合が多いです.例えば,現在の時刻が「午前11時38分」というだけでは,単なる時間情報になってしまいます.しかし,そのときに人間がいる場所がレストランの近くだった場合は,「昼食」という上位レベルのコンテクストと考えることができ,その人にお薦めのメニューなどを提供すれば,それは立派なコンテクストアウェア・サービスとよぶことができます.

コンテクストアウェアだけではなく,それによって提供されるサービスがなくてはせっかくのコンテクスト取得が無意味になってしまいます.言い換えると,空気を読むだけではなく,それをもとに起こす行動が意味をなします.そして,その行動の良し悪しがコミュニケーションを豊かにするかどうかの鍵になるのです.入力だけではなく,適切な出力を制御する判断が,人間にとってもコンピュータにとっても重要だということが理解できますね.

参考資料:
上岡英史, "コンテクストアウェアネスを用いたアプリケーションの研究動向," 情報処理学会誌, Vol.44, No.3, 2003, pp.265-269.

2010年5月6日木曜日

マルチメディアは死語?

「マルチメディアは死語」という記述をよく見かけるようになりましたが,はたしてそれは真実なのでしょうか?実際にマルチメディアという言葉は現在でもあちこちで使われています.この疑問に迫るため,マルチメディアについて少し考えてみたいと思います.

何事も議論するには定義づけが重要です.まず,メディアとは何か考えてみましょう.メディアは英語ではmediaと綴りますが,英和辞典の説明ではmediumの複数形と書かれています.では,mediumとは何かと再度英和辞典で調べてみると,「手段,媒体」と書かれています.したがって,ここでは,メディアとは情報を表現,伝達,あるいは,記録する媒体と定義することとします.そう考えると,マルチメディアとは情報を表現,伝達,あるいは,記録する複合メディアと定義できます.すなわち,マルチメディアという言葉は複合化された情報形態を指しており,その語を使うとか使わないという流行語のような位置づけとして捉えることは不適切ではないかと感じます.

一方,死語とは何かというと,言語学の世界では自然言語のうち日常生活でその語を口にする人が存在しなくなり,実際には使用されていない言語を指すようである.しかし,冒頭でも述べましたように,日常生活においてもマルチメディアという言葉は現在でも使われていますので,死語というには無理があるようにも思えます.

では,何故,「マルチメディアは死語」と言われるようになってきたのでしょうか?それはマルチメディアという言葉をコンピュータで扱う情報という狭義の意味として捉えているからだと考えられます.少し前まではコンピュータで扱う情報は主にテキストデータであり,それにグラフィックスという描画機能が追加された程度でしたが,近年のコンピュータはこれらの情報はもちろんのこと,音声,音楽,静止画,動画などの情報表現,伝達,そして,記録ができるようになりました.さらに,情報の検索,蓄積,加工の他,複数の表現機能と表現の変換機能までも実現可能となり,マルチメディアコンピュータという言葉さえも使われていました.この点がポイントになります.すなわち,現在はパーソナルコンピュータですらマルチメディアコンピュータとしての機能を備えており,もはやコンピュータはそういうものなのである,という認識が一般化されました.その結果,コンピュータが扱う情報はマルチメディアであり,あえてそれをマルチメディアと呼ぶ必要がなくなったということができます.

結論として,コンピュータが処理する情報という観点ではマルチメディアという言葉を使う必要はありませんが,学問上の情報形態という観点では必要な言葉です.なぜなら,音声と映像をそれぞれ単体のメディアと考えた場合,その両方が存在するYouTubeやUstreamのコンテンツは明らかに複合メディアであり,マルチメディアと呼ばざるを得ないからです.すなわち,単体メディアに対する言葉としてのマルチメディアは必要であり,存在し続けなければなりません.言い換えると,学問上では必要な言葉ですが,日常生活においては使われなくなる可能性があり,死語の定義からすると確かに「マルチメディアは死語」であるのかもしれません.すでに死語であるのか,また,死語化しつつあるのか判断するのは難しいですが.もし,死語ということになった場合は,マルチメディアという言葉の寿命はとても短かったことになります.20年前には英和辞典にすらマルチメディア(multimedia)という言葉が記載されていなかったのですから.

2010年5月5日水曜日

ユビキタスは何処へ?

トリッキーなタイトルに思えるかもしれません.「ユビキタス」という言葉が一般的に使われるようになって約10年.ちょうどその間,携帯電話サービスも2G,3G,3.5Gと進歩してきたため,ユビキタスコンピューティングとモバイルコンピューティングが同義語のように使われていることもしばしばありました.そこで,今一度ユビキタスの定義を振り返ってみたいと思います.

よく知られているように,ユビキタス(ubiquitous)の語源はラテン語で「遍在する,どこにでもある」という意味です.この言葉を用いてユビキタスコンピューティングという表現を初めて唱えたのは,故Mark Weiser氏(当時米Xerox PARC勤務)です.では,ユビキタスコンピューティングというのは,その名の通り「どこでもコンピュータ」を意味するのでしょうか?Weiser氏は21世紀のコンピュータビジョンとして,これについて1991年にScientific American[1]で次のように述べています.「コンピュータは人間の日常生活に自然に溶け込み,その存在は人間の意識から消え失せる.」(コンピュータの不可視性).確かに,どこでもコンピュータを利用できる環境であればコンピュータを使うという意識は薄れていくと思いますが,「どこでもコンピュータ」も含み,その先にある未来のコンピュータ環境のあり方をユビキタスコンピューティングという言葉を使って説明しています.そう考えるとユビキタスコンピューティングとモバイルコンピューティングが同義語でないことがわかりますね.

このようなコンピュータの不可視性という概念は何やらモヤモヤとして今一つ理解しにくいので,以下の2つのコンピュータ環境における情報交換と考えてみましょう[2].ひとつは,至るところにコンピュータが存在し,かつ,それらが互いにネットワークで接続されることにより,場所を問わず情報交換が行われる環境です.もうひとつは,コンピュータそのものを使っていることを意識しないで情報交換が行われる環境です.前者は物理的なコンピュータの所在,あるいは,ネットワーク形態と関連しており,ユビキタスの語源そのものを指す遍在性(Ubiquity)を意味しています.一方,後者はユビキタスコンピューティングの最終目標であるコンピュータの不可視性(Invisibility)を意味しています.

ここでネットワーク形態に関してですが,いつでもコンピュータアクセスができるようにするためには,どこにでもあるネットワークに接続されたコンピュータを使うという方法とネットワークアクセスが可能なコンピュータを人間と一緒に持ち運ぶという方法があります.これは,自宅,外,会社それぞれの場所でコーヒーを飲むのも,コーヒーポットを持ち歩いてコーヒーを飲むのも,どちらもユビキタスコーヒーであることに変わりがないのと同じです.


ユビキタスコーヒー

現在,ユビキタスに関する多くの研究が行われていますが,それらは多かれ少なかれ,上記2つの情報交換に焦点が当てられているように思えます.例えば,モバイルコンピューティング,ウェアラブルコンピューティング,アドホックネットワーク,クラウドコンピューティング,ワイヤレス通信などはコンピュータの遍在性に関連しており,コンテクストアウェアネス,ユーザモデリング,拡張現実感,ユーザインタフェース,アンビエントシステムなどはコンピュータの不可視性と関連していると言えます.

このようなユビキタスコンピューティングは21世紀の幕が開けた頃からIT分野の主要研究テーマとなりましたが,現在はどうなっているでしょうか?ユビキタスという言葉は無くなってはいないにしてもほとんど耳にしなくなったような気がします.しかし,コンピュータの不可視性という究極の目標は全く達成されていないのも事実です.このまま「ユビキタス」という言葉は無くなってしまうのでしょうか?ユビキタスは何処へいくのか?これはWeiser氏が私たちに残した今世紀の課題なのかもしれません.なにしろ彼は1999年4月27日に亡くなっており,21世紀のコンピュータ環境を見ることができなかったのですから.もしかすると,ユビキタスという概念自体が日常生活に溶け込み,人間が意識しなくなっているために最近耳にすることがなくなったのかもしれません.もしそうであれば,Mark Weiser氏はとんでもない天才IT哲学者だっということになります.

参考資料:
[1] Mark Weiser, “The Computer of the 21st Century,” Scientific American, Vol.265, No.3, September, 1991, pp.66-75.
[2] 山田茂樹, 上岡英史, "ユービキタスコンピューティング;ネットワークとアプリケーション," 電子情報通信学会論文誌B, Vol.J86-B, No.6, 2003, pp.863-875.

2010年5月4日火曜日

はじめてのブログ

情報通信工学の研究者なので,ブログは是非ともやってみようと思い,ゴールデンウィークの休暇中に始めました.最近,Facebook,TwitterなどのSNSが大変流行っていますが,そのように社会インフラ化した情報ツールを情報通信工学の観点,また,ビジネスモデルの観点などから考えるのも面白いかと思っています.

SNSと関連するものですが,ネット上での評判に基づく通貨として,Whuffie(ウッフィー)という概念がありますが,これはなかなか面白い通貨です.通貨といっても実際にこれで何かを買うわけではありませんが,Whuffieが増加するとその人自身の価値が高いことになり,ネット上だけでなく実際のビジネスにも大きな影響を及ぼすまでになっています.Whuffieはそれを与えることによって増加し,また,貢献することによって貯まっていきます.つまり,ネット上に有意義な情報を提供する,あるいは,他の人と一緒に社会的に役立つコミュニティを形成するなど,ネットを通じた社会貢献をすればその人の信頼度が上っていくのも納得できると思います.

Whuffieについては,タラ・ハントさんの著書「ツイッターノミクス」(文藝春秋)に詳しく書かれていますので一読されることをお勧めします.この本は,シンポジウムや審議会などをTwitterで実況中継する(tsudaる)ことを始めた津田大介さんが解説しており,まさに今ネット上で起きていることの社会的意義を学ぶ上でとても参考になります.

「ツイッターノミクス」のホームページ:
http://bunshun.jp/pick-up/twnomics/