2010年6月5日土曜日

高等教育で学ぶこと

学校教育は大きく分けて,初等教育,中等教育,そして,高等教育の3つに分類されます.それぞれ,幼稚園・小学校,中学校・高等学校,そして,大学・大学院にて行われる教育と考えるとわかりやすいと思います.今回は,このうち高等教育に焦点を当ててみたいと思います.

文部科学省の学校基本調査によると,大学,大学院修士課程,大学院博士課程,大学院専門職学位課程,短期大学,高等専門学校が高等教育機関とされています.これらすべての機関についてお話することはできないため,大学,大学院修士課程,大学院博士課程の3つにおいて身につけるべき能力を考えてみます.

まず,大学に関してですが,通常学生は専門性の高い学部・学科に属し,卒業論文あるいは卒業研究を完成させます.大学の低学年までは,研究のための教育がほとんど行われていないのが現状です.通常,学生は卒業最終年度に指導教員の研究室やゼミに配属され,その教員のアドバイスを受けながら卒業論文や卒業研究を完成させます.ここで重要なことは,研究のプロセスを身につけることと,論文という活字体による成果物を制作することです.研究のプロセスは分野によって差がありますが,工学系の場合は現状で何が問題なのかを理解するとともに,それを解決するための提案を行い,定性的,あるいは,定量的な評価によってその提案の有効性を論じます.理学系の場合は,未だよくわかっていない現象をどこまで解明できたかという点が評価に値します.先にも述べましたが,大学ではこれらのステップを教員の指導に基づいて完成させる能力を身につけることが要求されます.

大学院修士課程では,何か問題にぶち当たった時にそれを独力で解決する能力が要求されます.つまり,研究課題において解決すべき問題をどのように対処すべきか提案し,その提案の有効性を検証するためにどのような評価を行ったらよいかを考え,独力で結果を出すことが必要です.大学卒業に要求される能力より高度であることがおわかりでしょう.

大学院博士課程では,その名の通り博士の学位を取得することが目標となるわけですから,人並ならぬ努力が必要です.大学院修士課程との大きな違いは,自ら研究課題を設定する能力が要求されることです.与えられた課題について取り組み,問題を解決するだけでは博士の学位は取れません.どのような研究が世界のどこでも達成されておらず,そして,それを達成させることの学術的意義をしっかり認識したうえで研究課題を設定できなければなりません.また,学会論文誌などいわゆる査読を必要とされる論文投稿を行い,厳格な審査の結果その論文が採択されることも必要です.すなわち,新規性と有効性の高い提案と,査読者を納得させるだけの論理展開と文章能力も要求されます.

このように考えると,高等教育と言ってもそこには様々な段階が存在します.大学院博士課程で要求される能力は確かに特殊性・専門性が強いので,必ずしも一般の社会生活において必要とされないかもしれません.しかし,人を納得させるための論理展開能力とプレゼンテーション能力は会社で働く人にとってはとても重要です.多かれ少なかれ,人間は社会生活をしていれば様々な問題に遭遇し,何とかそれを解決していきます.そして,自分と異なる意見を持つ人と仕事をする必要がある場合は説得するためのノウハウも身につけていきます.つまり,大学院教育で必要とされる能力ですら,ほとんどの人が人生経験において身についていくものなのです.では,わざわざ大学院という教育機関があるのは何故でしょう?それは,専門性の高い分野に特化することでシステマティックに短期間で効率的にそれらの能力を身につけるためです.すなわち,そのような能力が既に身についている人は会社に入ってからあえて指導する必要もありませんので,会社としては余分なコストを書けなくて済みます.理工系大学院修了者の就職が良好なのも納得がいきますね.著しく専門性が高い分野を除き,どのような学問を専攻したかではなく,受けた教育課程において要求される能力がしっかりと身についているかどうかが最も重要なことです.

2010年6月4日金曜日

商品広告への有名人起用

テレビや雑誌で商品の宣伝をする際,通常,芸能人など多くのファンがいる有名人を起用します.なぜなら,自分の好きな人が宣伝する商品を購入することで,その有名人と気持ちを共有できるという心理的な効果を期待するからです.もちろん,その有名人は出演料をもらうというビジネスを行っており,その商品を本当に好きかどうかは知る由もありません.

商品広告に対するこの手法は,特にうさんくさい商品に対してはとりわけ有効でしょう.しかし,明らかに売れると思われる商品にも,ダメ押しというくらい多額の予算をかけて制作したと思われる広告が多いのは事実です.しかし,本当にそのような手法を使わないと商品は売れないのでしょうか?まさに今,大ブームを巻き起こしているアップル社のiPadの宣伝を思い出してみてください.テレビのCMでも盛んに出て来ますね.あれだけ有名な商品なので,きっと多額の広告費を使っているのではと思われますが,実は有名人は誰ひとり出演していません.「えっ,そうなの?そういえば・・・」,などの声が聞こえてきます.iPhoneやiPodのCMを思い出しても,有名人は出ていなかったのではないでしょうか?アップル社の商品のCMは,商品を前面に出し,それを使う人の姿は表に出てきていません.印象に残る音楽は使っているかもしれませんが,モデルという人件費にはお金をかけていません.そこが凄いところです.さらに感心することは,テレビのCMに出てきた時は既にその商品の存在を一般消費者は十分知っているということです.インターネット時代では,海外商品の情報もメディアがいち早くキャッチし,ホームページ,ブログ,ニュース,メールマガジンなどで紹介されますので当然といえば当然ですが,それは他社の商品も同じことです.

では,アップル社の場合は何が違うのでしょうか?それは,アップル社の最高経営責任者であるスティーブ・ジョブス氏の哲学にあると思います.ジョブズ氏は,みんなが「ワクワク」するような商品,というコンセプトを重要視しており,そのデザイン,性能,そして,操作性に至るまで決して手を抜かず,納得のいくまでその仕様にこだわります.その哲学が商品自体に生気を吹き込み,人々を魅了するのです.結果として,発売前から新商品の噂や憶測が話題となり,それを伝えるメディア自体が既に広告と化しています.そのようになってしまえば,もはや有名人を投入する広告は必要ありません.

技術者にとって,アップル社のような商品を世に出す仕事は大きなやりがいにつながります.その社員の気持ちがさらによい発想,よい技術を生み,それらの好循環が爆発的なヒットを生んできたのは言うまでもありません.今年の5月には,アップル社はマイクロソフト社の時価総額を追い抜いたというニュースが流れました.時価総額とは,株単価に発行済株式数を乗じたもので,企業規模を示す指標として使われます.今のアップル社にとっては有名人をモデルに使う広告費など,あまり大きな支出とは考えないのかもしれませんが,商品そのものの価値だけでこれだけの売上を達成したという事実は歴史に残る大成功ということができるでしょう.技術立国といわれてきた日本においても,商品自体で勝負できるような発想と技術の向上を祈るばかりです.

2010年6月3日木曜日

昔のコンピュータもすごい!

コンピュータというと,電子メールの送受信,ホームページの閲覧,映像や音声の再生などができるパソコンを示すのが一般的になっていますが,もともとは計算機であることは言うまでもないでしょう.計算機のはじまりを突き詰めていくと紀元前にまで遡ります.今から3000年以上も前,バビロニアに計算機の基本となるものが存在しました.バビロニアは地理的にはメソポタミア南部地域で,現イラクがある場所です.当時,地面に描いた線を跨いで小石を移動させることで簡単な計算を行っていました.英語で「計算法」のことをcalculusといいますが,その語源はラテン語のcalculiで,「小石」を表すことからもその歴史がうかがえます.この計算法は「アバカス(今のそろばん)」として発展し,中国経由で室町時代に日本へ入ってきました.アバカスは使い方によってはかなり複雑な計算を行うことも可能で,工学や天文学の計算にも使われていました.

アバカスが数百年間利用された後,16世紀にスコットランドのジョン・ネーピアが「ネーピアの骨(棒)」を考案しました.ネーピアの骨は複数の数字が書かれた棒で,それらを並べることによって,乗除算,平方根,立方根などの計算を行うことができました.まさにマジックスティックとよぶに相応しい計算機です.ネーピアは対数法の創始者としても有名です.それもそのはず,対数の乗算および除算は,加算および減算として計算できることを利用して,複雑な計算を実現していたのですから.本当に天才ですね.

ネーピアの骨のアイデアは,その後1600年代にイギリスのウィリアム・オートレッドによって計算尺として継承されました.計算尺はその計算内容によって種類が違いますが,関数計算も可能であり,電卓が開発されるまで科学計算などに長い間使われ続けました.

このように考えると,現代科学のほとんどの技術が電気を使わない計算機によって生み出されてきたことがわかるでしょう.もちろん,計算速度や有効桁数に関しては電子計算機に勝てませんが,ほとんどの計算は電気を用いなくても結果を出せるのです.

最近のパソコンでは,MicrosoftのExcelなど,スプレッドシートと呼ばれる表に値を入力するだけで,人間が計算という行為をほとんど行わなくても計算結果が正しく出力されます.このようなツールばかり利用していると,計算の原理を理解する必要がなくなってしまいますので,新たな計算法の創出は難しいかもしれません.今一度,そろばんや計算尺に戻って計算法の仕組みを振り返ってみると,電子計算機時代には考えつかないような新しい発想が出てくるかもしれません.

2010年6月2日水曜日

母音は言語で異なる

日本語は,「あ」,「い」,「う」,「え」,「お」,という5つの母音と,その他の子音の組み合わせによって発音されています.小さい頃から50音表というものを見せられ,それに基づいてひらがなを学んできた私たちは,その表の構成から母音,子音という概念を違和感なく理解し,そして,受け入れてきました.

音声を,マイクロフォンを通して電気信号という形で見ると様々な形の波形で構成されているのがわかります.このような波形を音声スペクトルといいます.母音はその音声スペクトルに面白い特徴があります.例えば,「え」という母音の音声スペクトルは,700Hzあたりと2,200Hzあたりに集中した波形が観測されます.これらの特徴的な周波数をフォルマントとよびます.フォルマントは母音発生時の口の形状によって生成される音声の周波数成分ということができ,母音の種類によってその周波数成分が異なります.逆に言うと,音声スペクトルからフォルマントの周波数成分を観察することによって,どの母音が発生されたかがわかるのです.ちなみに,子音には明確なフォルマントはありません.

フォルマントは周波数の低い順に,第1,第2,・・・,第nフォルマントとよびます.それぞれの母音に対して複数個のフォルマントがあるのが普通です.日本語の母音は上に述べたように5つの種類がありますが,他の言語ではどうなのでしょうか?韓国語を調べてみると,基本母音は10種類あり,さらに,二重母音とよばれるものが11種類ありました.母音は言語によって異なるのです.そう考えると,外国語の発音を習得するのに時間がかかるのも理解できます.ですので,完璧な発音など初めからあまり意識せず,とにかくコミュニケーションできる言葉を発生するということに重点を置いて,外国語を勉強したいものです.

2010年6月1日火曜日

21世紀はこんなはずじゃなかった

決して今の世の中を悲観しているわけではありません.私が小学生の頃に思い描いていた21世紀の世界をふと思い出したので,それについてお話したいと思います.

今から30年以上前になります.当時はスーパーカー・ブームというのがあり,フェラーリ,ランボルギーニ,ポルシェなど,ヨーロッパのスポーツカーを中心とする車の展示会があちこちで開催されていました.また,何気なく喫茶店の前に何千万円もする車が,いかにも「かっこいいだろ!」,とでも主張しているかのごとく,ドーンと駐車していることもあり,すかさずカメラを取りに家まで急いで帰ったものです.おそらくその時代は,所有する車の値段で富裕度を表す風潮があったのでしょう.交通手段として飛行機もありましたが,一般の人が乗る機会はほとんどなく,空を飛ぶこと自体夢のような世界でした.

そのような時代に21世紀の世の中を予想して描かれた絵がいくつかあり,それらには共通点がありました.それは,透明なチューブでできた道(のようなもの)が空中に何本も浮いており,その中を車のような乗り物が滑り台のように滑りながら動いている光景です.なぜ,このようなイメージが出来上がったのかはわかりませんが,空を飛ぶ飛行機が個人レベルで持つことができるようになり,空中を自由に行き来できるような乗り物が未来の交通手段になっていたのです.まさにSF映画の世界ですね.面白いのは,ジェットエンジンを搭載した小型飛行機ではなく,実際には空を飛ばないチューブの中を走る車のようなものです.おそらく,当時でも個人レベルで空中を自由に飛びまわれる乗り物は,さすがに無理だと考えていたのでしょう.

実際にそれから年月が経ち10年ほど前に21世紀を迎えました.しかしながら,車,自転車,高速道路,デパート,高層ビルディング,新幹線など,私が小学生の時に過ごした街並みとほとんど変わっていません.当時,携帯電話はありませんでしたが,子供はトランシーバを持ち歩いて無線ごっこをしていましたし,つい最近までよく目にしたタクシー無線などもそのままの状態でした.そう考えると,30年程度では世の中の「風景」はあまり変化しないのだなあ,と「痛感」しました.

これが,「21世紀はこんなはずじゃなかった」と思った理由です.国際宇宙ステーションが建設されて,21世紀では宇宙飛行士が頻繁に宇宙に行くようになりましたが,よく考えてみると40年以上前には有人月面着陸を成し遂げています.しかし,今では地球の表面にへばり付いたくらいの距離である宇宙ステーションへ行くのが最高の宇宙旅行となっています.普通に考えると,21世紀は人類が火星に到着していてもおかしくないでしょう.

このように考えると,100年後の世の中も今とあまり変わっていないのではないかと感じてしまいます.せめて普通の人々が月で生活できるくらいにはなっていてほしいと思います.私自身がそれを見届けるのは無理だと思いますが.ん!?,もし,無理でなければそれはそれで大きな変化です!

2010年5月31日月曜日

Skype on 3G

電話回線ではなく,インターネットを利用した音声通信サービスをVoIP(Voice over IP)と呼びます.日本のインターネット・サービスプロバイダでは,「050-」で始まる電話番号を割り当ててVoIPサービスを提供しているところもあります.この場合,家庭内やオフィス内のブロードバンドルータ[1]にVoIPアダプタという機器を接続(または内蔵)することによって,通常の電話機をそのまま使うこともできます.ただし,電話回線に接続された電話端末と通話を行うためには,途中でインターネットと電話回線を中継するゲートウェイというものを介して行います.インターネット内に閉じた電話端末どうしの通話であれば通常無料ですし,電話回線に接続された電話端末との通話でも格安です.「050-」で始まる番号ではなく,通常の電話番号をそのまま使用できるVoIPサービスが電話会社やCATV会社によって提供されていますが,その場合は電話回線に比べると割安感があるという程度で,無料とまではいかないようです.

電話番号を割り当てたインターネット上の音声通話サービスだけがVoIPではありません.例えば,SkypeやWindows Live メッセンジャーなど,登録されたユーザどうしが特定のソフトウェアを用いて音声通話サービスを行うのも,広義のVoIPです.例えば,スマートフォンにSkypeアプリケーションをインストールして,家庭内の無線LAN経由で音声通話を行えば,無料通話が実現できます.実際,私もiPhoneを用いてこの方式で海外の方と無料通話をよくします.しかし,一歩外に出て無線LANに接続できない環境,すなわち,3G回線を用いた環境では,Skypeは利用できませんでした.ところが,つい最近これが可能となったのです.iPhone向け公式アプリ「Skype2.0」は3G回線でも利用できるので,スマートフォンのパケット定額制プランに加入している人であれば,外出中でも無料で通話ができるようになったのです.ただし,「携帯ネットワーク回線経由のSkype同士の発着信は,少なくとも2010年8月まで無料」とあるので,その後は有料になる可能性があるわけですが.たとえそうであったとしても,この試みは歓迎されるものですし,有料になったとしてもべらぼうに高い使用料になるとは思えません.おそらく,月数百円くらいの定額制料金になるのではないかと思います.

ここまでは,料金の話でしたが,すこし技術的なことを考えてみましょう.もともと電話回線をベースにパケット通信を行い,インターネット接続を実現してきたわけですが,そのインターネット接続を用いてさらに電話サービスを行うという,何とも不思議な構造になっています.これなら初めから電話回線などやめてしまい,音声通話サービスはデータ通信サービスのひとつのアプリケーションという位置づけにしてしまったほうがすっきりします.ただし,その場合モバイルWiMAX[2]などのサービスとの差別化を行うのが難しくなってきますが.このように考えると,携帯電話網と呼ぶインフラは消滅し,携帯電話は単なる移動体通信回線を用いた音声サービスという概念になっていくことでしょう.「携帯電話」という語も死語となる日が近いかもしれませんね.

用語の説明:
[1] ブロードバンドルータ: 家庭内やオフィスのネットワークとインターネットを接続するネットワーク機器.
[2] モバイルWiMAX: 移動体通信を想定した高速無線ネットワークシステムのひとつ.携帯電話システムのように,無線基地局と電波が通じるエリアで利用可能.

2010年5月30日日曜日

パスワードがIT社会をぶち壊す

IT社会の発展に伴って,数多くのパスワード管理にうんざりしている人も多いのではないかと思います.コンピュータがインターネットに接続される前は,覚えておくべき重要なパスワードはATMの暗証番号4桁くらいでした.今では,ネットワークに接続して利用するサービスのほとんどすべてに,ユーザIDとパスワード入力が必要とされています.覚えるのが面倒なので同じIDやパスワードを使おうとしても,システムによって使える文字列の種類が限定されていたり,使える文字列の長さが異なっていたり,なかなかうまくいかないものです.何回も入力することによって何とか覚えられたパスワードも,ある一定の期間が過ぎると変更しなければならないこともあり,パスワード問題はどんどん複雑化していきます.

この対策として,生体情報を用いた認証システムに期待が寄せられていました.生体情報のうち,指紋や瞳の虹彩,また,静脈パターンなどを用いたものが実用化されていますが,あらかじめそれらの情報を登録するための手間がかかりますし,人間の体が変化しないとも限りませんので永遠に利用できる保証がありません.さらに悪いことに,実際の運用においては生体情報単体で認証を行うというよりも,ICチップやパスワードと組み合わせて更なるセキュリティを高めるために用いられ,根本的な解決策になっていません.

このように,認証を必要とするシステムは増加する一方であり,近い将来あらゆるパスワードを紙に書いて持ち歩いたり,携帯電話にメモとして書き留めたりしない限り,実用上認証システムは崩壊してしまうような気がしてなりません.もちろん,このような方法ではセキュリティ上全く意味をなさないのはおわかりでしょう.では,どうしたらこの問題を解決できるのでしょうか?「認証なんかやめてしまえばいい!」,という考え方もありますが,物の価値をお金で判断する経済が続く限り,個人の富を守る必要があり,難しいです.

原点に戻って考えると,パスワードは記憶するのが難しい文字の羅列ではなく,人間がこれまで生きてきて自然に身につけてきた情報が一番なのではないかと思います.例えば,家族の誰かの名前や卒業した幼稚園名,小学校名,さらには,小学校3年生の時の担任の名前など,考えればいくらでも出て来ます.そのような情報は,現在,パスワードを忘れたときに本人であることを確かめるために二次的に使われることがありますが,そのような二次的使用ではなく,本認証そのものに用いるべきです.そして,どの情報で認証するかもユーザが自ら入力することができるようなインタフェースを整備し,その情報自体もいつでも変更できるようにすれば,パスワード問題は解決できます.重要なのはパスワードの長さや短期間で変更することではなく,入力インタフェースではないでしょうか?